「Mandala oublié マンダラ・ウーブリエ(忘れられた曼荼羅)」-2013年春のプロジェクト 〈その1〉
インフォメーション:
セーヌ・マリティーム県企画野外展 6人展 「Le Ciel Ouvert」
ジュミエージュ修道院遺跡
2013年5月から11月まで
オープニング5月25日予定
プロジェクト「Mandala oublié(忘れられた曼荼羅)」:
われながら妙な発想の展開をしたものだと思う。ジュミエージュの展覧会は、「水」をテーマにしたものだ。それなのに、なぜ「曼荼羅」か。
昨年夏に、久々の「水」のテーマへ勢いがついて力の入った構想をした最初のアイデアは、これとはまったく違うプロジェクトだった。ところがこのプロジェクトは、「危険だ」という理由で県に退けられてしまったのである。プロジェクトは下請けと一ヶ月以上安全性について話し合って提出したものだったこともあって、県の意向は受け入れがたかったが、企画側の判断を翻すこともかなわない。「ほかの新しいプロジェクトを」と要請され、すでに一通り目を通してリサーチをし尽くしたジュミエージュの歴史や、ここいら一帯の自然環境や、この展覧会が、「ノルマンディー・アンプレッショニスト(ノルマンディー印象派)」というノルマンディーの大きな企画の一環で行われることから、日本とフランスとの関係やら、主題となりそうなものを再び総なめし、フラグメントのあれこれを集積させて、ようやくこのプロジェクトができた。まずはここで、あまりに遠回りして「水」とは少し迂遠になったそのタイトルの理由とプロジェクトを説明しよう。最初に構想したプロジェクトは棚上げになったが、合わせて4ヶ月ほどかけて2つのプロジェクトを構想した計算だ。この間はもちろん、ほかの仕事に手をまわす余裕などはなかった。
この展覧会のコミッショナーはジャンマルク・バロゾ。ジュイ・アン・ジョザスで10年ほど「レ・ザンヴィロンヌマンタル」というビエンナーレのコミッショナーをし、今回ジュミエージュの第一回目の野外展のコミッショナーに抜擢された。ジュミエージュ修道院史跡ではすでにジュミエージュ市による現代アート展がずいぶん前から開催されていたが、2013年から市から県へ企画の主導が渡り、ジャンマルク・バロゾが忙しく県とジュミエージュを走り回っている。
私はジュミエージュの企画に選ばれたことで、自動的に「ノルマンディー・アンプレッショニスト」へ参加することになった。2010年のルーアン・アンプレッショネ展から数えて二回目ということになる。
ジュミエージュはルーアン市から少し西へ下ったところにある小さな町だが、二つの八角形の高い塔をもつ修道院遺跡はセーヌ川から見え、結構有名らしく、夏の間旅行者が押しかけるという。西暦654年に礎石が置かれ、800年代にはバイキングに襲撃されたり、その後の宗教の盛栄で建て増しがされ、何回か人手に渡るうちに、建物の石灰岩が少しずつ爆破され、砕かれて売られたり、石の装飾が売り払われたりという歴史があり、現在は歴史建造物に指定されて発掘作業が行われている。
654年といえば日本では法隆寺の飛鳥時代。不思議なことにジュミエージュ修道院は八角形の塔が(鐘楼だと思うが)、二つあり、法隆寺(正確には年代的には法隆寺のほうが古い)にも八角形の建物で有名な夢殿がある。八角形の建物は、調べてみれば、「円形」に近づけるための建築様式のひとつだったらしく、八角と円形は同じもののように扱われる場合があるが、ジュミエージュ修道院の建築様式はローマ様式を含む珍しい様式で、八角形のドンジョンのを抱え込むように構築した重々しい建築が頻繁にあることに気がついた。
写真下:ジュミエージュでは、井戸も八角形
「水」と遺跡。
ジュミエージュで、八角形の鐘楼、八角形の井戸を見て、八角形の夢殿を持つ法隆寺のイメージが無意識のそこにあったのかもしれないが、大学時代の歴史の授業の折の教授の話を思い起こした。法隆寺の再建説についてのはなしである。
法隆寺に関する資料には、法隆寺が落雷にあい、すべて焼失してしまったと書かれたものがあり、そのため、現在の法隆寺は再建されたものであるとする再建説と、この資料は信憑性が薄く、現在の法隆寺はすべて建設当初のものであるという再建説を否定する二つの派に分かれているそうだが、その再建説を裏付けるような出来事があったというものだ。ある日、法隆寺のお坊さんが縁側に座っていたところ、にわかに雨が降り始め、地面を濡らし始めた。その様子を見ていたお坊さんは、地面が雨で一様に変化せず、色が違って見えるところがでてきたので驚いて見ていたが、降り続く雨に次第に色の違いはかき消されてしまったという。果たしてこのとき雨は、地下の遺構の存在をほのめかしたのであろうか。
普段は土や植物に覆われて見えないものが自然の働きによって浮き彫りにされることがある。下の写真は、フランスの畑の航空写真だ。麦畑の麦の生長の仕方がところによって変化し円形や四角形が浮かび上がっている。シャラント・マリティーム県の埋もれた古代の遺構が「植物によってまさに描き出された」瞬間だ。「雨や植物が浮き彫りにする人間の生活の跡」。実は、これが今回のプロジェクト「忘れられた曼荼羅」の下敷きになる発想なのである。
(つづく)