アクチュアリティ 古代の美術作品本国返還
2010年に通過した美術作品の返還にかんする法律により、きょう、パリの歴史自然博物館に収蔵されていたマオリ族のミイラ化した頭部20体がニュージーランドに返却されることになった。頭部のミイラはマオリ族特有の刺青を奇麗に残しており、民族研究の対象としても利用されていたもの。このたびは18000kmの距離を越えてニュージーランドからマオリ族が、自らの祖先でもありまた歴史的遺産でもあるこれらの頭部を受け取りにパリに訪れた。 こうした美術作品返却にかかわるフランスの弁護士によれば、「ミイラは人間の死体であって、はたして美術作品として考えられるかどうか大いに疑問のあるところです」という。つまり死体の返還として扱うか、美術作品を返却すると考えるかによって大きな違いが出てくる。「ユダヤ・キリスト教的な立場から見れば、死体は死体」で、返却は当然と見る。…
アクチュアリティ、放火
車の放火 - 三が日が終わっても車の放火件数が発表されないという異例の事態に、メディアが積極的に反応。今日はラジオ情報チャンネルのフランス・アンフォが明日発刊される日刊紙ル・モンドの内容を先取りして、車の放火に関する数字を発表した。1990年代からストラスブール郊外で始まった車の放火は次第に全国に伝染し、フランスの都市周辺の危険性を示すシンボルのようになっている。以来毎年、大晦日やキャトルズジュイエに大方の放火が集中しているが、実際の数字を県ごとに集計していった結果、2010年一年間で、全国で総計4万2千台の車が放火されているという結果が出た。フランスでは放火による犯罪で、一日平均115台の車が破壊されている計算だ。国立犯罪調査局によると、警察に届けだされる放火件数は実際の事件件数の5分の一という推測も出ている。(フランス・アンフォ・ラジオ)
2011年、年始の数字
2010年、世界の数字: 中国地震、アイチ地震、ロシア大火など、2010年に起きた世界的天災の件数、950件。例年より30%増加。自然の猛威による災害で29万5千人が死亡。 世界一悲観的な国民、フランス人: BVA Opinion(市場・世論調査インスティテュート)の世論調査で、フランス人が社会に対する悲観度で世界一、と発表した。失業問題は解消しないと思う人は国民の81%(前年度より2%増)を占め、福祉後退を悲観する人73%(7%増)、政治に悲観的な人53%(7%増)、物価高騰、などなど。総合的に61%のフランス人(10人に6人)が将来に悲観的という調査結果が出ている。フランスは、イギリスの53%、スペインの41%を大きく上回って、悲観度で世界一。ちなみに世界レベルは28%。 政府が公表したくない数字: 2010年12月大晦日は大過のないよう、フランスは5万4千人の警察や機動隊をくりだして全国警備に当たった。年末年始、またキャトルズジュイエなどに「恒例」の壊し屋による車の放火騒ぎを防ぐ目的がふくまれている。ところが今年は、三が日を過ぎてもフランスのメディアはどこも大晦日に放火された車の台数を発表していない。原因の一つは、オルトフー内務大臣が「数字をあげつらって毎年競争のように数字を発表する必要はない」として公表しないようにしたからであるが、大臣の態度は却って事実隠蔽の疑惑を呼び、大臣を糾弾する向きすらでてきている。 フランスのTVのジャーナリストたちは判で押すように「大晦日は無事過ぎた」と同じ表現をしているのだが、実際は一夜で501人が逮捕され、2009年大晦日より100人多い数字を記録。また、パリとパリ近郊の4県で合計120台の車が燃やされている(前年度2009年は198台)。一方、ストラスブールの郊外では車の放火に関し、「いつもと同じひどさ」と地方警察が発表。 フランス内務省による記録では、2009年12月31日から2010年1月1日にかけて一夜で放火され破壊された車の台数は、全国で1137台にものぼっている。4日前の大晦日はどれだけの車が破壊されたのか、この数字は1月中にほかの犯罪と混ぜて犯罪統計のなかで発表される予定だという。(フランス・アンフォ・ラジオ)
《Appel d’air – アペル・デール》 ドキュメント
〔空気が危ない?〕プロジェクトは2003年、われわれの生活環境が生み出す大気汚染が森林の自然の再生能力に害を与え始めていることにインスピレーションを受けて、調査と創造を開始した環境アート・プロジェクトである。制作は、2006年のアルジャントゥイユ市で制作した「光合成の木」を皮切りに、2012年のショーモン領での「天の果実をつけた木」まで、フランス、日本、アメリカで合計9回行われた。このページは、2010年ルーアン市で行ったインスタレーション、「Appel d’air (空気の誘引)」の記録である。 ----- 《Appel d’air – アペル・デール》、環境アートインスタレーション フランス、ルーアン市企画「ルーアン・アンプレッショネ展」の中での企画プロジェクト。展覧会は2010年6月から8月まで、ルーアン市植物公園で。
1986年と今日
警察権力: 保革共存政府が成った1986年は、クリストがポン・ヌフを包んだ年でもある。おそらくこの前年のことだと思うが、当時、パリ市の市長であったジャック・シラクの下で、市の文化担当官だったフランソワーズ・ド・パナフュー(現在パリ17区の区長)が、クリストのプロジェクトをジャック・シラクに提出したとき、シラクはこう対応したそうだ。「もし成功したら、それは私のおかげ。失敗したら、あなたのせい」。この問答は、いかにもシラクの政治家の一面を物語っていて面白い。 この1986年は、保守内閣による強力な警察権力の行使でいろどられた。不法滞在者の検挙がパリ中で行われたが、その検挙方法がすさまじかった。警察官を7、8人のグループにして警戒させランダムに通行人をとめては検査をした。そのとき身分証明書を携帯していない者はその場で捕らえられ、連行された。 メトロの中では各駅で、改札口を入ったすぐのところにやはり同じ人数だけのグループの警官が待っていた。フランスのメトロはいったん改札を入ると、もう後へは戻れない。後ろには機械、前には警察官が立ちふさがり、逃げる隙間はなかった。このようなネズミ捕りのような仕掛けの中で、不法滞在者たちがつぎつぎと検挙され、検挙されると即日ロワシー空港のわきの留置所に連れて行かれて、大概の者はそのまま3日後には国外追放された。警察官だらけのパリの街が何ヶ月続いたかわからない。この取締りで捕まり国外追放された不法滞在者の数は1万5千とも2万人ともいわれている。 このとき一人の日本人が検挙された。日本では九州派で知られる桜井孝美だ。彼もロワシーの脇の留置所へそのまま連れて行かれて犯罪人のように取り調べられた挙句、飛行機を待つことになった。幸い、すぐに弁護士が介入して難を逃れ、裁判へ持ち込まれて審議されるまでいったん猶予期間を与えられることになった。裁判では、桜井孝美がフランスにいる価値のある芸術家であることを証明して、滞在許可をもらおうというのが、本人と弁護士の希望であったように記憶している。そこで桜井孝美は、周辺のフランス人や日本人の知人を集めて文書を取り、自分はこれだけの人たちに支持されているという証明として電話帳のような厚さの陳情書を作り上げた。私も書いた。桜井孝美は、この話に周辺の人たちを巻き込んで文書を作るからには、アート・パフォーマンスにするとあちこちに表明し、陳情書は『パラダイスへの道』と名づけられて内容も変化しつつ数年間、本人の手で発行され続けた。裁判はというと、滞在の手続きをきちんと取るという条件で勝利したというはなしをきいている。 外国人滞在者の管理は警察にあり、われわれの滞在許可証の発行や書き換えは滞在地の警察で行うきまりである。現在の不法滞在者の扱いや国外追放のありかたは、実はこの1986年のような強行なすがたとあまり変わらない。 数年前偶然、エデュカシオン・サン・フロンティエール(無国境教育)という協会があるのを知った。大方が学校の先生のボランティアで全国組織を持つ。彼らの主な仕事は、生徒を警察に検挙されたり、国外追放の危険から守ることにある。親が不法滞在であっても子供には教育の権利があり、実際フランスの教育の恩恵を受けている外国人の子供たちが大勢いる。教育の場に警察がはいり、そうした子供たちや子供を送り迎えする親を検挙したり、また高校などの卒業式の日に学校を取り巻いて、教育の権利を終えたばかりの生徒を正門で捕まえ、国外追放を強行したりすることが頻繁にあるらしい。そうした警官隊を前に、生徒を渡さないように同級生や先生がスクラムを組んで衝突する場面がままTVで報道されたりしている。 2010年初頭、モロッコ人の女子高校生が兄に殴られ怪我をしたので警察に駆け込んで訴えたところ、警察は兄を捕まえずにこの女子高校生を捕縛した。女子高校生が滞在許可証を持っておらず不法滞在と判明したためで、即座に国外追放されてしまった。ここで活躍したのは高校の同級生たちと エデュカシオン・サン・フロンティエール(無国境教育)協会で、内務省や大統領に陳情して女子高校生のフランス入国許可を取り付け、女子高校生は無事帰還しみんなに歓待されたことがメディアでも話題になった。異例の入国許可に怒ったのは、内務省の規約どおりこの不法滞在者を国外追放した土地の知事で、女子高校生の再入国直後、辞任したという結末になっている。(S.H.)