芸術と神経医学、ジグムント・フロイド展
今年創設20周年を迎えたパリのユダヤ芸術歴史博物館で、ジグムント・フロイド展が行われている。社会学から神経医学、そうして精神分析へ。アンドレ・ブルトンやルネ・マグリットなどシュールレアリズムへの強い影響が伝わる。ミケランジェロのモーゼ(石膏のレプリカ)とアメリカ近代絵画を拓いたマーク・ロスコで終わる展覧会のセノグラフィーはフロイドとフロイドの時代を芸術運動を背景に描き出して豊かだ。
アクチュアリティ、Le Zap
一日100ユーロの損、ブルターニュで家畜業者たちの怒り ブルターニュの家畜・乳産品業者、主に、養豚、牛、牛乳生産をしている農業経営者たちが、市場価格値下げによる赤字の増大で、怒り爆発。ブルターニュの国道をあちこちで塞ぎ、タイヤを燃やしたり瓦礫を自動車道にばら撒いて通行を止めるなどし、対応に警察が躍起になっている。「こういう行動にでも出ないと、誰にも聞いてもらえない!」。一日100ユーロの損、これが彼らの現状だ。
きょうの話
さて、今の私の話である。 現在、夏のルーアンの大きなプロジェクトのほかに、この秋に向けて隣町の企画個展のプロジェクトを同時進行している。隣町のメゾン・デ・ザール文化センターのディレクターが私のアトリエに来たのは去年の夏前のことだった。突然の電話で、まあコンタクトはいつも突然ではあるけれど、彼女らが初めて企画する野外展のアーティストに私を選んでくれたということだった。その時点からずっと、アイデアを出してはああでもないこうでもないと話し合いばかりを続けている。もう長いあいだメゾン・デ・ザールで展覧会を企画している人たちではあるが、野外のテンポラリーなインスタレーションへのアプローチは初めてのことで、なかなか理解が難しいらしい。財布を牛耳っている市の議員たちとは二ヶ月前に初めて会合をした。こちらはもっと違う世界だ。そうか、だいたい全体像が見えてきた。ようやくわがセンターでも現代アートに挑戦しようと一発奮起しているディレクターは、じつはもっと「厄介」な市議会を私と一緒に説き伏せようという心積もりだったらしい。周辺の事情がわかったからには、それなりに対応すべきであるとは思いつつ、毎回の話し合いには消耗以上の消耗を、強いられている。 ルーアン市長のように予めアーティストの知識を仕入れて理解し、初対面から何の問題もないミーティングをできるのは、いかに希少な理想型か。結局は、何を提示し、どう納得させられるかに問題は集約するのだけれど、一方で、それぞれ企画によって事情には雲泥の差がある。状況によって、はたまた人によって、アーティストもあらゆる方策を準備しておかなくてはならないのが現実、といったところなのだ。 6月1日にまた、隣町の市議会議員とのミーティングを予定しているが、すっかり視点を変えてミーティングに臨んでみようと考えている。国際通貨基金のディレクターのドミニク・ストロスカーンのように「だまって私に仕事をさせてください」というようなセリフが、早い話、すんなり言えればそれですむような問題なのかもしれない、と思いつつ・・・。 もう一ヶ月くらい前、2008年にたててまだ紙の上のプロジェクトが実現に向かっているという連絡が入った。このプロジェクトは二つの町で実現することになりそうなのだ。一歩先へ進んだからには、下請け企業のリサーチから開始しなくてはならない。まだまだ山ほどリサーチをしなければならないプロジェクトなのである。一箇所からはきのう、契約書の下書きが送られてきた。目を通さなければならないが、まだルーアンに時間をとられている。すでに台湾から船が着き荷物が岸に上がっているのに、税関を通すための書類が一通足りない。いくら注意をして手配をしたつもりでも、何かがおきてしまうのは仕方がないが、きょうはその処理で一日終わってしまった。この週末は、6月1日の隣町の議員との会合に向けてプロジェクトのPDFを仕上げるつもりでいる。契約書に目を通すのはそれからになるだろう。 さてもうひとつ、きのうは現代アートに関する本を書きながら展覧会プロジェクトを同時にするという人の電話を受けた。コンタクトは5月はじめにメールが来たのが最初である。展覧会企画のほうはパリ市の応援を頼みにしているらしい。セレクションしたアーティストがどのような形で発表までたどり着くのか、まだ、ふわふわしたアイデア状態といった気配だ。幸い急がないようなので、ルーアンのインスタレーションがオープンしたあとの7月に、実質的な話し合いに入ることになった。 2005年あたりから、本を書くから私の仕事や仕事の写真を入れたい、という話がよく湧き上がるようになった。ちょくちょくコンタクトを受けるものの、実際に図版入り単行本が出版されたのは今年の《ジャルダン・エコロジック》という360ページの厚い本が、仕事のちゃんとしたプレゼンテーションをいれてくれた初めての本となった。ほかは数回、企画がもちあがって原稿ができたのに、出版の時点で流れてしまうというもったいない事態で終わっている。今回、展覧会と同時に出版をということで、おそらくカタログがふくらんで執筆者の構想がふんだんに入る本のようなものができるのだろうと予測している。いずれにしても出版物にきちんと入れてもらえるのは喜ばしいことだ。(2010.5.29.S.H.)