フランスの美術教育に関わった経験 -その2(日本美術家連盟、連盟ニュース2011年11月号掲載)
(リンク: 連載その1

国が違えば政治も違い、社会構造も違い、教育も生活のあり方も違う。フランスは、学年度の開始は9月、翌年の6月が学年末というシステムで、7月8月の2ヵ月の夏休みは年度切り替え時期と重なる。これは大人の社会のシステムに協調したもので、社会人は一般的に、年間11ヵ月仕事をして1ヵ月間の有給休暇があり、休みのピークとなる7月8月は、グランド・バカンスと呼ばれ多くの中小企業が1ヵ月の休みに入る。こうした社会の動きの中の年度の端境で、夏休みの宿題のない子供たちは、1年の6分の1を学校から解放されて生活をする。… たとえばフランス人が、医者をしながら哲学方面でも著名であったり、あまり縁のなさそうな2つの知的生活をかかえていたりするゆえんは、こうした1年の時間配分が起因するところが多いだろう。

一方で、フランス教育省の決める授業時間数は、ほかの国と比較してみても決して多いとはいえない。たとえば小学校と幼稚園では年間36週間、週24時間が規定で、毎日6時間の時間割で月火木金の4日の授業。つまり、水曜と土日の週3日の休みがある。時間数が少なく落ちこぼれも多いため、補習授業が設けられている。中学校は、週25時間から28.5時間、高校は選択授業などで幅があり、週30時間から40時間。この国の教育の目を見張る点は、先生の目が一人ひとりの生徒に行き届き、個々の生徒に対応していけるように、一クラス20人から30人という、生徒の理想的な数が貫かれてきたことだろう。生徒が自分の意見を言い聞いてもらう時間がちゃんと与えられているのである。

ここに紹介するのは、順に、中学高校そして小学校と、6歳から17歳くらいまでの広範な年齢層を対象に、フランスの美術教育の現場に実際にかかわることのできた貴重な体験の一部である。とくに低年齢の小学生から得るところが大きかった。教育と芸術の連携を背景に、それぞれの年齢の子供との接触と現場の先生の様子を綴って行きたいと思う。

2008年、フランスのラン(Laon)市のアルトテック(Artothèque、現代アートの普及を目的に所蔵品を貸し出す機関)が、ピカルディー地域で「テリトリー(Territoire[s] 領域)」というテーマを中心に長期にわたる文化企画をするので、中学高校の美術の授業をやらないかと打診してきた。アルトテックはこのとき私を含めて7人のアーティストを選出し、ピカルディー地域の中学高校の美術の先生方に資料を送って学校にアーティストを選ばせている。私には、アニズィ・ル・シャトー市のルイ・サンドラ中学校とラン市のポール・クローデル高校の依頼が来て、フランスではじめて中学と高校の教壇に立つことになった。

ピカルディー地方には3つのアルトテックがあり、ラン市のアルトテックとは私の作品を1点所蔵しているというだけの繋がりしかない。授業時間数や報酬については地方自治体(Communauté commune)と契約し、スケジュールは学校の先生方と直接交渉で決めて、当事者同士やりとりをした。アルトテックは、作品貸し出しという本来の職分を超え、ここでは現役アーティストを教育の現場に導入するというアイデアを牽引し、二つの世界を連携する「蝶番」の役割をした。もう一つの扉を開ける役割をしたラン市のアルトテックは、実際教育の現場を熟知したリタイアした教師を筆頭にした学校の教員の集団が運営していたのである。

テーマ「テリトリー(Territoire[s] 領域)」を出発点に子供たちはアーティストと作品を作り、数ヵ月後、ピカルディー地域の参加校がいっせいに作品を展示して成果を発表し、アルトテックの収蔵品公開とともに地域の文化遺産局や都市工学の責任者を集めたシンポジウムで締めくくられるという、大きな流れを含んだ計画のはじめの一歩である授業が始まった。

私に与えられた授業時間は中学高校ともに10時間。生徒たちには一ヵ月半の期間にあたる。アニズィ・ル・シャトー市のルイ・サンドラ中学の美術教師とは、少ない材料費で何を買うか、授業は2クラス合わせて行われることや、若い教師は理論専攻で、授業には社会科学方面の先生が見学にくることなどを事前に話しあった。が、いくら想像をたくましくしたところで、普段の授業がどうであり、大勢の中学生がどう反応するかはさっぱり見当がつかない。そこで、まずは与えられたテーマを念頭におき、この教師が7人のアーティストの中から私を選んだ意味を十分に発揮させるという2つの点を中心に置いて、それから先は子供たちの発想をどう助けるか、臨機応変に対応していく方向でこの仕事に臨むことにした。

はじめに主題に言及する。テリトリーというと、フランスでは国の概念が強い。中学校の教室で最初の挨拶のあと、黒板に一筆描きでできるだけ詳しいフランスの地図を描いた。自然に生徒たちの要求がでてきて、黒板の反対側に日本を描いた。同じ白墨の線が、二つの異なった国を描き出す。「国」という一つの言葉で表すものも、その国の人間が国境をまたいでほかの国へ行くと、その人は「外国人」になり、その人のいる国は「異郷」であり、離れてしまった自分の生まれた国は「故郷」と呼ぶことになる。自分が動くことで、シチュエーションが変化し、同じであったはずの「国」が意味を変え呼び方を変え、自分自身も違うものになる。そうしたシチュエーションの変化をものに置き換えて、一つのものが異なるものへ変化する瞬間に現れるかたちを説明し始めた。用意をしたのは予算の関係で紙コップである。予め頼んでおいた紙コップは、さいわい美術の教師が黄、赤、青、緑のきれいな色の透明プラスチックコップを見つけて大量に用意しており、美しさが手に取ってみたいという興味をそそる。「紙コップは何をするもの?」と質問すると、「飲むためのもの」とみんなから合唱のように答えが返ってきた。コップを逆さにして机に置き、その上にもうひとつのコップを乗せ、またその上に逆さのコップを乗せると、コップの柱が彫刻のようになる。次は、机をどかして床にコップを伏せて等間隔に並べると、「スケートボードの障害物」という声が上がった。「置かれる場所からほかの意味が付け加えられると、そのときから紙コップが紙コップではなくなる」ことを説明する。床に置いたコップの間隔を縮めて置きなおすと、「スラロームを大きくしないと通れない」と生徒たちはスケートボードの意味合いの中で見え方を展開した。ここまでくると、物が意味を変える、という意味がなんとなく分かってきている。床から拾い集めたコップをまとめ、こんどはホチキスで同じ方向につないで行った。上広がりのコップの角度が形を与え、最終的に車輪のような輪ができてコップは輪の部品になった。こうして日常の紙コップが、紙コップの「国境を越える」瞬間を、それぞれはっきりと判るいくつかの例を出しながらひととおり生徒に説明し終えたようなわけである。

こうしてもともとの材料の意味がほかのものに変化していくことを生徒にも実験させるために、「コップの意味を変貌させる」という課題を生徒に与えた。2クラス分の生徒たちをグループにわけることにしたが、グループも強制で作るのではなく、気が合い仕事のしやすい仲間を選ばせて2人以上6人程度まで。生徒の意志に任せたグループを作らせると、アイデアが出なかったり物作りが不得意な子供も不思議に同じグループに固まることが分かり、かえって教師も対応しやすくなった。

あるグループは、あっという間に青と黄色のコップを交互に貼り合わせての天井まで柱をつくり、壁には紙を貼って大きな青いフランスと黄色いイタリアの地図を描いた(青と黄はそれぞれの国の象徴色)。自分の家族のテリトリーを描いたのだという。もうひとつのグループは校庭へ飛び出して行き、プラスチックコップを何個も重ねて色鮮やかなアーチを作り、地面を掘って木の棒を立ててアーチをかぶせ、小さな虹を校庭に立たせた。大量生産で使い捨てという点に目をつけた女子生徒2人のグループは、学校の食堂に備え付けの飲料水を供給するウオーター・フォンテンを二つ利用し、ひとつはその周りに紙コップを散乱させて裕福な国を象徴させ、もうひとつは砂漠化で苦しむアフリカを表して対比させたいというアイデアを出してきた。紙コップの散乱するインスタレーションをするために、あんまり理解をしてくれない食堂のおばさんに何度も頼みに行っている。最後までアイデアが出ないと悩んでいたグループには、みんなが使わない場所、たとえば天井を利用したものを考案するように指示した結果、コップをつなげてシャンデリアに仕立て上げて、校内の脚立で届く電気をさがして設置した。各グループの発想はこうして自由に展開し、若い教師に技術面や校内の設置場の問題解決などを助けられながら、自分たちのアイデアを実現するために校内を駆け巡るエネルギッシュな中学生には、大いに驚嘆させられることになった。

一方で、年齢に3歳の差がある高校は、そうはいかなかった。選択制の美術は人数も少なく、クラスには10人ほどの生徒しかいない。アートをやりたいという生徒と仕方がなくて選考したという生徒とが分離し、知識にも興味にも生徒間に大きな開きがあった。授業の統率は別角度から行わなければならない。ビデオで作品を見せて生徒を日常の授業から切り離し、私の仕事の中からみんなでテーマを抽出した。環境へのアプローチ、エコロジー、社会、作品が置かれる現場の選び方、あるいは材料等。少しのあいだ咀嚼して校庭に出ると、ある生徒は気に入った木を見つけてアルミホイルで包みたいといい出し、ほかの生徒はオブジェをちりばめられる地面を探し始め、風力発電機をミニチュアで作りたいという生徒は、公害を象徴する黒雲を作って吊り下げられる枝を探して歩き始めた。材料購入は先生に頼らなければならない。やりたいテーマや材料をインターネットで調べるなどの時間が与えられ、内容をはっきりさせてレポートにまとめ教師と面談するというプロセスを立てて授業を進めることになった。私が受け持った10時間では到底作品ができるまでにはいたらず、教師が進んであとを引き受け、必ず生徒たちの作品を完遂させることを約束して別れることになった。

「テリトリー(Territoire[s])」は、地域の役人や代表を集めたシンポジウムに私も参加して2009年6月無事閉幕した。

そうして、この年の8月、私はドルドーニュの協会企画展に参加している。協会は若いがこの協会もリタイアした小学校の元校長先生の集まりによって構成されており、文化省の地方振興局と連携を取りながら、広大な農村地帯に現代アートを普及させるべく活発に活動をしている。企画においては、さすが教員たちだけあって段取りもよかった。現地制作の一週間のあいだ、私の仕事場まで毎日手作りの昼食を運んでくれたのは、ビュグ市のジャン・レイ小学校の現役の校長先生なのであった。

展覧会終了後の秋深く、この小学校で全校生徒を相手に授業をしてはどうかという提案が地域の教育委員会からきて快諾した。フランス教育省の支援だという。すでに顔見知りの校長先生からの依頼テーマは「サイトスペシフィック・インスタレーション」。一クラス2時間半を限度に6歳から11歳までの生徒に意味を分からせ作品を作らせるというもので、快諾したのはいいが、内容は生半ではない。全校生徒にドルドーニュ川河畔で学年末の行事にサイトスペシフィック・インスタレーションを作らせるという目的があり、私の授業はそのための下準備であるという話もした。

一般の小学校でこうしたテーマを扱うという話は聞いたことが無い。現代アートに隣接した校長先生が実現しようと努力しなければあり得ないことであり、それをまた途方もない短時間でこなすことを引き受けてしまったからには、私としてもどこかで奇跡を起こさなければならない。担任の先生の引率で小学生たちは夏の展覧会を見学しており、学校では数十台のPCが備えられたコンピュータ室でインターネットにオンラインしている私の作品ビデオを全校生徒に見せて授業の下準備をした。今回の授業に使える材料費は、生徒数百人に200ユーロ強(2万円強)と実に僅少。一クラス2時間半をどう構成するか、実験、ビデオ、説明そして制作へ。時間と材料が過酷なほどに少ない条件のもとで生徒に何ができるのか、頭をかかえながら生徒に対面することになった。

小学校では、「いつもの授業で絵を描いたり立体を作ったりしているので、是非ともサイトスペシフィック・インスタレーションを教えて欲しい」という担任の先生たちの強い要望に出遭った。過去の経験で小学校低学年の子供たちが自分らの感性を全開してインスタレーションを見ながら真剣に説明を聞いていたことをあれやこれや思い出し、きっと彼らも理解できるはず、という確信のもとに、中学生の授業で行った紙コップ授業を小学生にも運用することにした。校長先生と一緒にスーパーで購入した紙コップはオレンジ色の模様がついている。「飲むための」紙コップが机の上であるいは床で変化していく状況を作って見せ、言葉にして繰り返した。こうして一通りの説明をしたあと、「ほかのものに変化する形や場所を見つける」という課題を出し、担任の先生の監視のもと、階段や砂場、木や植木などがある校庭に、紙コップを持たせた生徒たちを解放した。

1時間後、グループごとに出来上がったものを説明するときがきた。なかに、1本の枯れた植木の枝々に沢山の紙コップをかぶせ、題名を「レ・ブーケ(花束)」と発表したグループがあった。担任の教師が題名を不思議がり、「コップをつけた枯れ木は1本なのに、なぜ[レ]という複数の冠詞をつけたの?」と質問した。生徒たちは即座に答えて、「ほかの植木は葉っぱをつけているのにこの木だけ葉っぱがなかったので、欠けているところをコップで満たしたんです。周りの木もこの木と同じように重要だったので複数です」。その場の環境を取り込むサイトスペシフィックな思考とはこのことだ。同じ紙コップ、同じ校庭で生徒がすることは似通っており、ほかのクラスでも同じ植木を使ってコップを咲かせた生徒たちがいたが、環境を取り込む目は同じではなかった。

言葉が判らないような小さな子供も周辺の大人が物事の筋道を立ててくれるのを待っているという。作品を作る時間を与えられなかったことで、かえって「レ・ブーケ」にみるように、美術の授業において、小学校レベルの子供たちが直裁に現代のビジョンを広げていく力を発揮できることを検証できたということがいえるかもしれない。この発見は、小さなことを見逃さず、子供の内側を引き出すことに心を砕くフランスの教師たちに負うところが大きい。かれらにはおおいに感謝をしなければならない。(2011年9月 平川滋子、2011年11月校了)