フランスの美術教育にかかわった経験 -その1 (日本美術家連盟、連盟ニュース2012年7月号掲載)

フランスでの作家活動は今年で28年になる。教育関係では、高等教育の美術専攻の学生の5年制卒業試験官(D.N.S.E.P.)や特別講義などに招聘されることはあったが、大学より年少の子供たちを相手に、教室に自分の仕事を教材として持ち込んで実際に美術教育を行う機会が訪れるのは、実に2008年以降のごく最近のことである。フランスの小中高校の美術教育もしたがってこのころからようやく身近で見ることができるようになった。この稿では、学校で行われる美術教育の内容に言及するまえに、まず作家活動をする私がこうした教育の現場へ徐々に引き出されていった経緯からはなしをはじめようと思う。芸術家と教育者の出会いの中に、日本の状況とは異なるより豊富な情報が含まれていると思うからである。…

2001年の私の個展に大量の子供たちが訪れた。展覧会の企画をしたパリ近郊のマラコフ市が市内の小学校に呼びかけ、会期の2か月のあいだに総計600人の子供たちがバスで訪れて、会場のインスタレーションのなかで作品を見ながらワークショップをして帰るという、市の積極的かつ大掛かりな働きをまの目のあたりにした。このときマラコフ市は、「生きているアーティストが今生み出しているアートに接する機会を子供に与える絶好のチャンス。こどもに作品のまえで物を作らせてもう一歩踏み込ませたい」と私にその意図を明らかにしている。古いものにはいつでも触れられる。今生み出されているアートに触れる機会こそ少なく、また子供の感性への響き方も大いに異なるはずだ。そう考えれば、市の企画するテンポラリーな現代アートの展覧会は絶好の場なのだといった。市は、展覧会のカタログとは別個に、教員向けの作品説明パンフレットを作成し、またもっとくだいて子供向けの説明書を作成するなどいくつも分かりやすい文章を作って備えた。当然のことながらこれら説明文の下書きは、作品を作った私が提供している。マラコフ市のように私の展覧会をまるごと子供の感性育成に寄与しようと働きかけをするような公共団体は、この時期実に稀有な存在であった。

現代的で自由に見える思想の中に歴史的な思想が息づいている。フランスの芸術の政治的転換期というべきものが歴史の上に二度現れる。一度目は1789年フランス革命のとき、ルーブル宮が革命軍に占拠され同時に宮殿の王族の収蔵品も押収されて国のものとなり、1792年ルーブル宮は「国民の美術館」として開館されることになった。王族貴族だけの特権であった芸術が国民に開かれた年である。二度目は1960年にアンドレ・マルローが文化大臣となったとき、文化省建設の大目的を「文化の民主化」、つまり文化を民衆に最大限近づけるためにあらゆる方向から思索し政策に転換しようとする政治思想で、現代文化と国民が触れ合う現場を思想的かつ物理的に建設することから文化省の仕事がはじまった(実際は予算不足で思想が先行。物理的な進展へは1980年代を待たなければならない)。「文化の民主化」思想は、1981年に文化省が再建されたときも新しい時代作りの下敷きとなって引き継がれ、変貌する現代文化に呼応しつつ、国もその政策も改革を重ねてきた。長い時間をかけて国民に浸透した「文化の民主化」という国の意志が、たとえばマラコフ市でみたように、「行政が生きたアートを広め(現代文化振興)し、アートを一般への芸術感化(芸術教育)の場として活用する」という考えを敷衍する根拠のひとつとなったと考えられのである。

政治色や年間イベントの有無にもよるが、フランスの市町村では現今、平均して財政の8%から7%が文化に当てられている。財政は税金で賄われるから、展覧会企画もたとえば図書館充実や道路工事と同様、納税者への還元という感覚が含まれる。2001年のマラコフ市は、その独自のアイデアで企画展を子供の感性育成へ役立てているわけだが、子供たちのワークショップは、私ではなく市が雇った若者二人が担当した。私は若いアシスタントと子供たちを会場で傍観しただけであったが、大人には慣れていても多勢の子供の展覧会に対する反応を一度に見る機会はなかなか無かったから、6歳から11歳までの子供のようすをこのとき観察したことが、のちの小学校で大いに役に立つことになるのである。

さて、実際の教育機関に招かれて授業を行ったのは、2008年、2009年、2010年のことで、内訳は、小学校二回、中・高校各一回。また中学校企画でアーティスト・イン・レジデンスにも招かれた経験がある。それぞれ、私への報酬にかんする資金繰りは特殊な背景をもっているが、共通点をあげれば、私を招聘した人たちはみな私の展覧会の企画者なのであった。

フランスの教育機関、およびその体系は日本やアメリカとは大きく異なる。日本の大学以上にあたる高等教育は大雑把に分けてグランゼコール(Grandes écoles)、エコール・スューペリヨール(Ecole supérieure)、アンスティテュ(Institut)、大学(Université)などの名を冠しており、卒業資格はその分野や程度によるが、重要な資格は国が細分して定めており、したがってどの機関に在籍していても国の規定の試験を通れば全国共通の卒業資格を得られることになっている。

高等教育機関が異なるように、小中高校もだいぶ違う。まず小学校(école primaire)は5年制で、各学年その教育内容の名前がつけられ、一年生(6歳)はCP、二年生はCE1、三年生はCE2、四年生生はCM1、五年生はCM2と呼ばれる。中学校は(collège)4年制で、第6学年から始まる。第6という呼称は、高校(lycée)の最終学年にエコールや大学などの高等教育を受ける資格であるバカロレア(Baccalauréat)の取得試験があることから、高校の最終年から逆算して6年目という意味をもつ。したがって秒読み感覚で、中学一年生は第6学年。二年生は第5学年。三年生は第4学年。四年生は第3学年。高校一年は第2学年、二年生は第1学年で、高校三年生は最終学年(Terminal)と呼ばれる。日本の6・3・3制に対し、フランスは5・4・3制というわけだ。

またフランスは教育省(L’Education nationale)と文化省(Le Ministère de la culture et de la communication)が分立していることを明記しておかなければならない。第二次大戦後、文化省を再建するにあたってアンドレ・マルローが、「教育は死んだもの(固定した概念)を相手にするが、文化は生きて変貌していく」と死と生という激烈な言葉を用いて教育と文化の性質を対立させ、(教育省からの)文化省独立への論拠とした。(1981年文化省が再々建されたときにも、「生きたアーティスト(artiste vivant)」にかかわる現代芸術の庁と、「死んだアーティスト(作品)」にかかわる美術館との二つの庁を分けるのに使われたほど、「生」と「死」という言葉は対立概念として用いられる。)

高等教育のうちUniversitéと呼ばれる大学は教育省が管轄するが、芸術関係の国立のエコール(ボザール、アールデコ、コンセルヴァトワール、映像、産業デザイン、演劇その他、地方のエコール)は、文化省の管轄である。省間プロトコルやその他連携の便宜が設けられているにしても、こうした政治構造のなかで教育と文化をつなぐ努力は、ある意味でそれに携わる人々の明解な意識と行動を要求することになると言っていいと思う。

小中高校の生徒との出会いは、活発に文化へアプローチをする先生方との出会いから始まった。展覧会の企画者はさまざまだが、公共団体以外は大半が協会を作って活動している。協会法という法にのっとれば国などの賛助金や具体的な文化情報を獲得しやすく、また形も整い対外的にも運営しやすくなるからだ。近年、私にコンタクトをとってきたフランスの地方の展覧会企画協会のうち三つの協会が、ふたをけてみれば学校の先生や校長先生、あるいはリタイヤした先生たちなどの集団だったのだ。

初めての講義依頼は2008年、アルザス地方ヴァットヴィレー(Wattwiller)市の協会企画のグループ展(7人展)に付随したものだった。市周辺の小中学生へ講義をするかしないかの打診があり、一週間の講義をかためてすることと、講義で子供たちが制作した作品を展覧会期間中に同時に展示する、また給料はいくら、などの条件を伝えられ、アーティストがこれら条件に合意した上で契約書が送られてきた。展覧会同様、すべては契約の上で行われる。小中学校の生徒の作品を展示するのに伴い、学生への呼びかけも怠らず、ヴァットヴィレーから25kmほど離れたミュルーズ市のエコール・デ・ボザール(美術学校)も参加させて学生の作品の小自治区を町の一角に作るなどして、小学生から大人までジェネレーションを網羅するプランがアーティストを選抜したコミッショナーから知らされたのだった。

ヴァットヴィレーのわれわれの展覧会は町の要所を利用した野外展示で、いつでも仕事をするアーティストと通りすがりに交歓できる。協会会員の主役は小学校の先生たちで、アーティストの世話役もこれら教員たちであり、協会の本拠地も小学校校舎内。オープニング会場も人をたくさん収納できる小学校の校庭で、オープニング当日は人口1800人足らずのこの小さい町に、地域周辺の市町村から家族連れを中心に老若男女が2000人以上集まり、作品を鑑賞しながら町中を練り歩いた。これだけたくさんの人たちに自分の作品も見てもらえると思うだけでも子供たちの意識は大いに高められていたものと想像する。

小学校の場合、芸術教育にあてられるのは通常週三時間。ヴァットヴィレーでは、約一月分の芸術教育の時間を固めて4日から5日間分の集中講義タイプの時間割を組んでアーティストの授業に充てた。「限られた時間と限られた教材の中で創造教育はままならない。外から生きた芸術に入ってきてもらい、生きた言葉で生きた芸術を体験するチャンスを与えたい」。私はこのときCPとCE(小学校低学年)の生徒約40人と対面した。子供は敏感だ。周囲の大人の度量の広さが子供の気持ちを広げさせる。和気藹々としながらも先生たちの気概を感じつつ、初体験の小学校低学年の授業で私は却って、アーティストに寛容な周囲の大人たちのほうに感心させられたのである。

(2011.6.7. 平川滋子)