フランスから―環境とアートのブログ

開く:記事の大見出しをクリックする
フランスの社会と日常

アクチュアリティ

社会現象 - アペロ・ジェアン。アペロとはアペリティフ、食前酒のこと、ジェアンはジャイアント。巨大なアペリティフ・パーティが昨夜行われた。行われたといっても主催者は誰だかわからない。FACEBOOKを介して互いに知らない同士、約一万二千人がモンプリエで、また9千人がナントで集まり和やかにアペリティフを交わした。フランスで二回目。公共の場で集会が行われる場合は、届けを出し警察が取り巻いて厳しく監視されることになっているが、主催者がおらずどこから誰が集まってくるかもわからないこの集会に関しては、当局はなにもできない。新手の集会に、市は救急隊や清掃局を特別に用意してこのパーティを見守った。昨夜は、アルコールで50人近くが病院に運ばれ、モンプリエ市は後始末の経費、6万ユーロを捻出。ナントでは転落事故で男性一人が死亡した。 EU - 先週末、EU各国の経済相が集まって明け方3時まで緊急会議を行い、7500億ユーロのオペレーションをすることで合意し、今週明けは下落していた株が軒並み上昇してユーロも安定する方向にある。各国の支出引き締めは急務。スペインが公務員給与を5%下げると決定した。 カンヌ映画祭 - カンヌ映画祭が昨夜オープニング。 天候 - 先週に引き続き、冷たい空気がフランス全土を覆っている。気温は7度から14度程度。アルプスやピレネで雪のところも。 5月13日 - キリスト教の昇天祭で休日。木曜日のため週末にかけて飛び石連休だが、金曜も休みを取って計4日のバカンスに出かける人も多い。ただ、この気温ではせっかくの休みもいまひとつ、といったところ。明日朝、パリは3度とぐっと冷え込む見込み。

時代を変える鍵

九州派の桜井孝美がパフォーマンスで出版した『パラダイスへの道』のおかげで、出版に寄せて1992年および、1993年辺りに書いた拙文が残っている。時間が経っているせいか、1986年のはなしすっかり忘れたようにまったく関係のない当時の時事問題を書いている。 1992年は地方選挙で社会党が大敗。社会党離れはそのまま1993年春の総選挙になだれこんで社会党は5分の一議席しか取れず、内閣解散。再び革新社会党のミッテランを大統領に、エドワール・バラデュール首相を筆頭に内閣はすべて保守系閣僚で組織される保革共存政府が成立した。第一回保革共存政府は、1986年から1988年まで。第二回目の共存政府はこの1993年3月29日から1995年5月まで、つまりつぎの大統領選挙まで続いている。 1993年は、フランスの経済危機で、ル・モンドが「オイル・ショック以来の深刻さ」と書きたて、失業率は3百十万人で11%に届き、中小企業はおろか大企業まで倒産縮小が相次ぎ、エイズ汚染血液の公判が始まり、またインサイダー問題やらなにやらで問題続きの年でもあった。美術界はと見ると、やはり画商の大手が倒産している。すでに1991年の湾岸戦争の影響でマーケットが大幅に萎縮し、ロバート・ロンゴの個展を大々的に行ったギャラリー・アントワンヌ・カンドーが活動停止し、ボードワン・ルボンが倒産請願を提出した。そのころ、私も3つほどの画廊と仕事をしていたが、この年これらの画廊は潰れるか、生き残るために転職をしてしまっている。この恐慌で、あっという間に世の中ががらりと変化してしまった。そんな年だった。 93年下半期、ミッテランが危機を乗り切るために経済対策を発表した。国営企業の24社を民営に移管するよう通達したのだ。この24社は、ルノー公社、エール・フランス、アエロ・スパーシャルなどフランスを代表する大手企業が大半を占め、国の経済を牛耳る元来の社会主義的な体制を解き、いよいよキャピタリズムへ、大きく国の方針が転換することになった。 さて、そのうらがわをよく見てみると、保守派首相のバラデュールは、第一回目の保革共存政府の折に、経済、財務、そして民営化をかねた省の大臣に就いている。むかしから保守派は国営企業の民営化を選挙のたびに公約の一番目においており、1986年も政権を執るとこれを真っ先に遂行した。 93年の経済危機は、そうした保守が大規模な民営化を促進する格好の口実となったのではないか、と漠然と考えたりしている。現実はしかしながら、国営企業は昔ながらのがんじがらめの体制も手伝って一朝一夕に民営化はかなわない。株を少しずつ売りさばいて民間の株主を増やしていくにはかなりの年月がかかっている。 93年の保守内閣の文相はジャック・トゥーボンで、さいわい現代美術に造詣が深かった。大臣になる前はパリの13区の区長でもあり、区内にモニュメントを建てたり集めたりし、またFIAC(パリの現代アートフェア)を訪れる姿を見かけたりすることもあった。 彼の下で文化省はあまり変形されずそのまま推進されたのではないかと想像しているが、問題はほかにあった。文相トゥーボンは、フランス語の乱れを嘆き、それを英語のせいにして「一切、英語を使わない」よう通達してしまったのだ。通達、というのは一種の規則のようなもので、守らなければならない。TVやラジオなどの報道関係は特にフランス語だけで話をするように強制されてしまったかたちで、英語の不得意なフランス人はますます世界から切り離されてしまった。フランスの一般がこの通達にあきれて文化大臣を酷評したのはいうまでもない。 さて、フランス語に関して、後年、特に公文書について国会で意見を述べたエリザベット・ギグの話をここに引いておきたい。 エリザベット・ギグは1997年から2002年、保守シラク大統領の下の革新派ジョスパン内閣で法務大臣に就いた社会党のインテリである。ジョスパン内閣が女性議員を増やし男性議員と同数にするための政策をすすめていた時期だったこともあるが、エリザベット・ギグがある日、国会演説のなかでこう述べた。「公文書は今まですべて男性によって書かれたもので、表現も内容も男性のものということができる。これからは女性が公文書を書く機会を増やし、これまでの公文書も女性の観点で検討されてしかるべきだ」。 この日、この演説を聴いて私は目から鱗が落ちる思いがした。こうした観点がおそらく時代を変える大きな鍵になるにちがいない。(S.H.)

アクチュアリティ

ユーロ - ユーロ下落による共通貨幣の危機。ユーロ圏16カ国サミットで今後の経済対策について緊急会議中。ギリシャの赤字負債と暴動で、昨日はミラノ、パリ、リスボン、マドリッドなどで株価急落。一部ではユーロの存在理由自体が危ぶまれている。まだ火が小さいうちに消し止められなかったのはギリシャに救済金貸付を渋って時間をやりすごしたドイツの責任、すでにパンドラの箱が開かれ手遅れ、と非難する向きも多い。フランスも今後数年間、国庫支出の厳しい引き締めが検討されている。 5月9日現在、危機をのりきるため欧州連合がほかからの資金調達を検討しているが、イギリスは協力を拒否した。 火山 - アイスランド火山がまた活発に噴火。火山灰がアイルランド、北イギリス、および南ヨーロッパ、イベリア半島のほうへ向かい、今日はスペインやポルトガルで全面的に、またマルセイユなど南仏の一部で飛行機が運休している。 5月8日 - フランスの休日。1945年、ランスでドイツが降伏条約に調印し、西欧におけ第二次世界大戦が終結。記念日となった。

アクチュアリティ

天候 - トゥールーズ、ペルピニャンなど南の都市で4度から6度という低い気温。ピレネ山脈の標高1000m以上はまだ降雪が続いており、数十センチ積もった雪で電線が切れるなどの被害が出ている。まだ今週は寒さが続く。 同日5月5日は、コートダジュールが6mの高波に襲われ、ニース周辺の海岸線に並んだレストランなどが押し流されて大破した。カンヌ映画祭のクロワゼットの土台も壊れ、映画祭を数日後にひかえ突貫工事を行っている。きのうはフランスの南半分が暴風雨圏内にあったが、コートダジュールでこうした被害が出たのははじめて。被害額は百万ユーロを越すもよう。 ブルターニュの牡蠣養殖が危機に瀕している。海水の温度が16度以上に上がると牡蠣の病気が蔓延し始め、80%がだめになるという。牡蠣養殖業自体が危ぶまれている。 ギリシャ - アテネで、3万人とも5万人ともいわれるデモ隊が「どろぼう!」と国会に向かって叫びながら押し寄せ、警官隊と衝突した。こぜりあいがエスカレートし銀行に火炎瓶が投げ込まれて職員3人が死亡した。ギリシャは3000億ユーロという巨大な赤字負債を少しでもまかなうべく、国内の消費税VATを23%に値上げ、タバコやガソリンなどの関税を10%値上げ、また市民の給与を15%減給するなどの対策を提示し、国民の怒りが爆発した。デモ隊と警官の衝突は5時間続いたが、この影響でまた欧州の株が軒並み下落し、ユーロも1ユーロ1.29ドルという過去一年で最低を記録した。

アクチュアリティ

天候 - 5月4日。フランスは南のピレネ、リヨン、マッスィブ・サントラルなどの標高700m以上で降雪。先週末は30度の夏日、今日は積雪20cmの真冬となり、ラッセル車が雪を掻き分けている。ロワール地方、オート・ロワール地方、またカルカソンも、先週と30度近くの気温差を記録した。北スペインも積雪で混乱している。

ブログのプロローグ

フランスのアート状況のきのう、きょうをテーマにブログを開設する。 1.フランスの今日のアート、2.フランスの社会と日常、3.私の日常(アーティストの毎日)、という三つを中心に多くの情報を収集しながら私の話をはじめようと考えている。 1983年に渡仏をして今日までフランスで創造活動をしている私は、必然、フランスという社会の日常のなかで仕事をしてきたことになる。毎日ここで生き作家として存在していくことは、この社会の現実や問題に直接ぶつかっていくことでもあったから、フランスの今日のアートを私なりに叙述するにはこれらの三つの事柄が、自然に盛り込まれてくることになると思う。 EC・欧州連合が成立して10年になり、殊にこの5、6年のフランスの社会の動向は劇的に目覚しい。この目を見張る変貌の中で、アートのありかたもどんどん変化を遂げている。その変化はここ30年のフランスの努力ともいえるものだが、成果として見えるようになったのは、EC統合後、世代交代が目に見えて始まった時点であったように思う。 1980年代に、まずは社会党新政府が、ジスカール・デスタン時代に局レベルに格下げされていた文化省を再建して予算を倍増し、現代文化のインフラストラクチャーを全国に建設し始めたが、20年以上経った現今、それら施設のアートディレクターが世代交代をして活動することが「当たり前」のようになり、また文化における地方分権が現代文化振興の概念とともに政治の中にしっかりと根を下ろし始め、全国各地で公共団体やECなどから文化予算を配布されて活動する協会や地方・県・市町村が出現し続けている。中央中心、あるいは専門家だけの現代アートではなくなり、地方レベルであちこちで自立した活動(しかもしばしば高レベルのイベント)が行われているのがはたして夢のようだ。 私が渡仏した当初、誰も「現代アート」などという言葉を知らなかった(言葉が文法的にちゃんと存在していても)フランス国民が、いまや、小学校の校長先生から6歳から11歳までの全学年のワークショップに、「サイト・スペシフィック・インスタレーション」を課題にしてほしいという要請を受けるような時代に変貌した(2010年2月、ドルドーニュ県ビューグ市の小学校でワークショップ、フランス教育省援助)。 大学レベルの講演などにも招待されて学生の前で話をすることもあるが、小学校で、小さい子供に現代アートのはじめの一歩をいう願いに応えてワークショップができることは画期的とも言うべき出来事で、フランスの過去を知っている私にとっては幾段も嬉しい。こうしたアドミニストレーションの柔軟さは、フランスにおいても希少ではあるが、先生たちの熱意がありさえすれば実現できる時代がフランスに到来したことに感慨せずにはいられない。 フランス国民がこうしていろいろな方向から長い時間をかけて咀嚼してきた現代アートを含むフランス現代文化が、見えないところから支障をきたし始めている。いや、見えるところから言えば、すでに2007年、サルコジが大統領に当選したとき、内閣編成で「文化省」が省からはずされる、という噂が飛んで、文化人がだいぶ身構えた。省にとどまるか局レベルに落とされるかの問題は、即時的に予算の問題である。省から格下げされれば予算は大幅削減である。文化省はこのとき幸い、そのままとどまった。昨年あたりから再び地方の芸術活動を支援する協会から不平の声が聞こえ始めているが、どうやらこれは、文化省よりも国がおしきせる支援体制の組織の複雑化によるものらしい。 「協会」とは、フランスでは1901年協会法という法律があり、この法にのっとった協会は国の支援を得られることになっている。80年代に立ち上がった地方の大きな現代アートセンターの群れも、また昔ながらのサロンといわれるパリの公募展がいくつかあるが、それらサロンもみな協会(アソシエーション)を成立させて援助金を獲得し、毎年の企画をまかなっている。その援助ゆえに、協会設立は今もあちこちで行われているのである。 不平の声は昨年仕事をさせてもらったドルドーニュの協会からあがった。公共の援助金は公庫から出るので、出費の際の領収書を含めた多くの資料が引き換えに必要になるが、 今回、資料作成を二重に複雑にさせられた上に、その資料提出先が今までの文化事務局ではなく、農業事務局だというのである。文化事務局がどこへ消えたのかはわからないが、農業事務局が兼任(農業と?)することになり、勝手のわからない事務局から一向にわれわれの書類が動いてくれない、ということだった。農業事務局が協会の資料を再作成するようにいってきたので、私も協会に提出した私の給与や材料費返済にかんする領収書を書き換えさせられた。事務局から資料が動かなければ、出費返済も進まない。協会は赤字を抱えたまま、翌年の企画を始めなければならないことになった。「そんなバカな」と誰もが言う。フランス文化省が再建されたとき、組織拡大に伴って、政府は「文化創造に寄与するために、役人の文化教育を怠らない」という条文を発令した。発令して、現代アートのために新設した造形芸術局のパンフレットに印刷し、オペラ通りの事務所のレセプションに誰もが持って帰られるようにパンフレットを山積みにした。文化を理解して、はじめて文化予算を采配できる、という政府の配慮を皆に知らしめたわけだ。四半世紀も積み上げてきたその道理が、こうして簡単にへし折られた。 鼻先をへし折られてがっかりしているのはドルドーニュの協会に限らない。小さい団体ほど、影響を受けやすくつぶれやすいはずである。先週だったか、地方の一般の人々とじかに接して活動している文化団体がこうした不都合に対してストライキをした。不合理への糾弾は、即実行の国である。 さて一方で、フランスのオーガナイゼーションの規模の振幅は、今までになく大きい。 大物を上げれば、国際ビエンナーレは、エスチュエール(ナント市から河口のサン・ナゼール市まで約60kmにわたる地域で開催)、リヨン・ビエンナーレと、フランスは二つも抱えているし、 地域の中レベルのビエンナーレ、トリエンナーレは数え切れないほどの有様である。地方、県、市町村も、おのおの「文化振興局」を持って機能させており、企画野外展も数多い。 これらの企画は、地方であるがゆえに、また公共団体の企画であるがゆえに、情報がその地域にとどまったきり、中央(パリ)まであがってこなかったり、ほかの地方へ広まらないのがこれまでの常であった。町中が全身全霊でかかりきりの、また知られたアーティストが十二分に力を発揮して仕事をするような大きな展覧会であっても、単に全国紙のジャーナリストがパリから一歩も出ない(出られない)という理由だけで、不問に付せられてしまうことがいかにも多かったのである。フランスが自分で潰してしまう情報は、外からも見えるはずはない。こうしたフランスの情報収集の方法とズタズタともいえる情報網の弱点は、当然のようにフランスの現代創造を外国から過小評価させることになった。 新聞や雑誌などのプレスがセレクティヴなのは仕方がないどころか「当然」だ、という向きもあるだろう。問題は、セレクティヴであれば、何を基準に選択をしているかということだろう。 このブログに載せる記事は、したがって、今までのプレスのあり方をはずれ、フランスがここまでにいたった理由を交えながら、地方の大きな企画の紹介や現代アートの創造の現場を紹介し、私の経験や眼識を通しつつ、グローバルにフランスのすみずみまでその今日を提示していきたいと考えている。(S.H.)

アクチュアリティ

フランスのTV報道は、以前は日本はおろかアメリカのニュースでさえ少なく、世界への見通しはなかなか利かず、欧州に閉じ込められたような雰囲気さえあったが、現今、毎日の各ニュース内容の50%以上を国外の出来事が占めるようになり、フランス全体が大きく世界へ目を向ける姿勢がうかがわれる。ちなみに、ここ数日の大きなニュースは、アメリカの油田事故にともなう原油汚染、ヨーロッパ連合のギリシャ救済、タイの暴動、中国の万国博、ハイチ地震後の救済、アイスランド火山、アフガニスタン等。 ブルカ (つづき)- 昨日フランスで、顔全体が隠れるるものを公共の場で着用してはいけない、という法案が成立したもよう。法案の内容はル・フィガロが記事にした。「顔全体が隠れる」ものを着用して路上などで見つけられた場合、罰金150ユーロ。また「男性に強制されて顔が隠れるものを着用している女性」が見つかった場合は、罰金1万5千ユーロ、一年の禁固刑が課せられる。後者はブルカのことを指している。 ちなみに、隣国ベルギーでは昨日、国内でのブルカ着用全面禁止法案が、138票中136票という圧倒的多数で下院を通過した。ベルギーのブルカ着用者は100人程度のものだという。 ヨーロッパではじめて。 宗教に関連して、昨日ストラスブールで、キパを着用したユダヤ人を通りがかりの二人の男が刃物でさす事件がおきた。 My opinion: たった100人程度の実践者になぜこうまでして法律を設けなくてはならないのだろうか、という疑問は大多数の疑問でもある。すでにベルギーではオランダ語圏住民とフランス語圏住民との対立で首相が辞任している。国内で芥子粒ほどの少数民族の圧迫はその延長線上か。それではフランスは何なのか。 ギリシャ - ギリシャの経済救済は、ヨーロッパの株価が軒並み下落しポルトガル、スペインへの影響が大きく懸念された段階で、貸付を渋っていたドイツが折れてEUから援助金が出るもよう。ただし、昨日ギリシャは、450億ユーロでは「実は足りない」、と表明。赤字負債額は想像がつかない。 フランス国内 - 先週木曜金曜は、全国的に好天気に恵まれ、北のストラスブールで28度から30度を記録。アイスクリームが爆発的に売れた。あちこちで海水浴も。 このウィークエンドから気温は10度以上下がり、例年以下に。

アクチュアリティ

フランスの今日: ブルカ - サルコジ大統領がブルカ禁止を内閣に持ち出して以来、あちこちで問題がおき始めた。ニカブをかぶって運転していた女性が警察に捕まり罰金(視界がさえぎられるものを着用しているという理由で)。昨夜は、マルセイユから数十キロ離れた町のイスラム教寺院を何者かが銃撃。30あまりの弾痕が発見された。 火山 - アイスランドの火山噴火による航空機や旅行者への被害は、2億6千万ユーロという発表。まだ外国から戻れないフランス人が数千人いるもよう。ちなみに市街への火山灰の影響は今のところまったくなく、パリは青空の好天が続いている。 ギリシャ - ギリシャの大きな負債による経済恐慌は、ユーロ圏からギリシャ脱退を懸念させるまでにいたっている。ギリシャは、EU やFMIに450億ユーロの借用を請願。ちなみにギリシャ国内では消費税が19%から21%へ値上げ、給料凍結で、デモ続出。 28日、ポルトガルも経済危機に陥りつつあり、ドミノ式に軒並みユーロ体制を揺るがすのではないかといわれ始めた。ギリシャはゼネストに突入。5月中旬までに90億ユーロを返済しなければならない。EUからの救済金貸付は、ドイツがブレーキをかけている。 ベルギー - ベルギー人が「子供のけんか」と呼ぶ昔ながらのフランス語圏とオランダ語圏の対立が悪化。首相が辞任した。オランダ語圏がフランス語圏の住民を圧迫。 28日、7月にEUのリーダーシップをとらなければならないベルギーがこの状態で、予想つかず。 パリ - 27日、全国から5000人の農業経営者たちが結集して1000台のトラクターでパリ市内へ入るため、あちこちで交通遮断が行われる。昨年の収入半減で立ち行かなくなった経営者が国へ援助を求める大々的なデモ。ヨーロッパはあっちもこっちも混乱気味。 28日、結局、パリへ集結した農業経営者は1万人近く。トラクターは1400台と予定を大きく上回り、パリジャン、パリジェンヌたちは手を振って迎え農業経営者たちのデモを好待遇した。穀物の価格急落による収入減は50%を上回り、早急に政府援助金が出ないと、1万3千人の農業経営者が失業する。

アクチュアリティ

2010年4月23日現在、話題の社会問題: ブルカ - サルコジ大統領の懸案で、イスラム教の女性が身にまとうブルカやニカブをフランス国内の公共の場での着用を禁止する法案を立てることを内閣が決定した。 ブルカとは、頭からすっぽりかぶる黒や青い幅広の布のことで、体のみならずまったく顔が隠れてしまう。イスラム教のいわば宗教的お仕着せの女性の着衣のことである。顔が隠れて本人かどうかの確認や表情の確認ができないため、いままで学校や職場では着用を禁止されていたが、これを道路やスーパーなどいたるところで禁止しようという法案である。 サルコジ大統領およびフィヨン首相は、「ブルカは宗教的に女性差別を強要するもので、フランス国内で男女の平等を確立するために女性の顔を隠さない法律を建てる」と主張している。しかし、無理やり宗教の伝統を剥ぎ取ることは、即座に宗教や表現の自由を認める人権擁護に反することになるもので、立法をつかさどる最高機関コンセイユ・デタ(国務院)とサルコジ大統領の衝突が予想されている。 与野党を問わず、また国民からもこの懸案への非難は多く、ほかにもっと大きな問題(年金、税制、医療、農業援助、経済恐慌に伴う失業増加など)がいくらもあるのに、どうして今ブルカの全面禁止を法案化しなくてはならないのかと納得がいかない。このまま懸案が国会で議論されると、秋一番の問題となるはずの年金制度の見直しが後回しになる見込みだ。ちなみにブルカを着用している女性は、フランス全土で2000人程度しかいない。 My opinion:フランスにはイスラム教徒が多く、ブルカやニカブのほかに髪の毛が見えないように頭を隠すスカーフだけをかぶる女性が多数を占める。すでに1988年、パリの中学校で教師がスカーフをかぶった女子生徒三人を教室から締め出し、スカーフを取らなければ授業を受けさせないと強要する事件が起きた。この事件はほかの生徒へも悪影響を及ぼし、イスラム教の女子学生のいじめが頻出した。この国では、イスラム教徒の衣装はそれほど「問題」にみえるらしい。 男女平等かはたまた宗教の自由か、というが、お仕着せの衣装を脱いだだけで男女平等が成立してしまうのならそんなに楽なことはない。ブルカやニカブ(目の部分だけがみえる)を着用している女性たちは、かえってこの懸案に大迷惑をしているのだから、イスラム教徒の女性への思いやりなどでもさらさらありえない。フランス国内で明らかに異教とわかるブルカ着用を廃止することは、今までのサルコジ政治の大勢から見れば宗教弾圧にみえて仕方がないが、国務院との衝突が予想されているというからには、すでにサルコジの「男女平等」が理屈として通らないことを物語っているだろう。 男女平等を引き合いに出すのなら、最近、働く女性が妊娠したときに職場でハラスメントを受けたり、無謀に解雇されて退職金すらもらえなかったという事例が2000件ちかくあったとTV報道があった。(最近のテレビ局の傾向であるが、社会の底辺で頻繁に起こる問題でありながら、なかなか解決されない重要な問題をルポルタージュしたり統計をとり発表をしたりして世論に問う番組が増えた。)サルコジ政府はもっと足元の現実を見てものをいわない限り、人気は下降の一途を辿るばかりだろう。

すうじ

2010年1月-2月発表、フランス国勢調査およびそれにともなう社会の数字: -フランスの人口 約6500万人。 -昨年一年間で、29000から30000人のサンパピエが国外追放された。 サンパピエとは、滞在許可証を持たない(あるいは許可が出ない)外国人のことで、フランスの旧植民地から来てすでに何年も季節労働者などをしてフランスの納税者である場合も少なくない。 -一方で、フランス滞在許可が下りた外国人数は、173991人。ヨーロッパ第一。 -毎年、農地の減少が加速度化。1980年の54千ヘクタールに対し、2010年は72千ヘクタールの農地削減と都市化が見込まれている。農業経営者人口も同時に激減。 -2009年は、自営業設立が58万件。過去最高で、2008年より75%増。 経済恐慌で就職難や失業の増加に対する自衛の現れ、という見方が強い。 -今年3月に行われた地方選挙へ向けて、黒人の立候補者が増えた。TVニュースが、「政治に色がつく」と表現。 (ちなみに、有色人種の閣僚参画は、2007年サルコジ政権下、フィヨン内閣が歴史上初めて。41歳で法務大臣になったマグレブ系移民出身のラシダ・ダティは法相を退き、ヨーロッパ連合議員に就任。) -警察の拘留回数、年間80万件。友人のけんかにかかわった14歳の少女が自宅からパジャマ姿のまま警察に連行されるなど、むやみに取り締まる件数の多さや無謀な拘留のしかたが問われている。