フランスから―環境とアートのブログ

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フランス文化のきのう、きょう

ヨーロッパ文化遺産の日

9月の第三週のウィークエンド(18日、19日)は、ヨーロッパ文化遺産の日で、フランス、ベルギー、リュクサンブール、オランダなど総勢49カ国の各地の文化遺産が一般公開される。 もともとは1983年、フランス文化大臣ジャック・ラングが、フランス国内の文化遺産を開放して一般参観のできる日を設けたのが始まりで、大盛会を博したフランスの文化遺産開放の評判はあっというまにヨーロッパ各地へ伝染し、すでに1985年には近隣のヨーロッパ諸国が開催するほどになった。これに裏付けられて、ジャック・ラングは1991年、ヨーロッパレベルでの開催を正式提案。これによって、欧州議会で、ヨーロッパ文化遺産の日/ Journées Européennes du Patrimoine が認証されたもの。 第27回文化遺産の日のフランスのテーマは、「歴史上の大人物-女性や男性が歴史を作るとき」。日ごろ一般には開かれていない文化遺産を含めて、フランスでは全国で1万5千箇所の美術館、博物館、遺跡、お城、庭園、宗教建築、政府関係公舎(大統領官邸のエリゼ宮や別邸、シャンゼリゼのリドの舞台裏、フランス鉄道のアトリエや電車の操縦室、トゥールーズのエアバス工場では巨大なA380の建築行程や飛行機内の一般公開も)が無料公開されることになっており、今週末二日で、約千二百万人の動員が見込まれている。 ・フランス文化相フレデリック・ミッテランの「文化遺産の日とテーマ」紹介(英語): http://www.journeesdupatrimoine.culture.fr/node/134 ・フランス全国の文化遺産開放についての詳細情報 PDF(場所、開放時間、電話番号など23頁。フランス語バージョンのみ): http://www.journeesdupatrimoine.culture.fr/sites/all/themes/jep2010/images/presse/cp_programme.pdf

政府の「安全対策」に反対する、全国デモ

国家の安全を口実に、政府が行う外国人追放、特にロム(ヨーロッパを放浪して歩くルーマニア人など)の強制追放や集中的な迫害に対し、きょう9月4日、ジェーン・バーキンなどの歌手、俳優、野党政治家たち、人種差別やサンパピエに関連する何十という協会や市民が全国で集い、反対デモを行った。 ルーマニアの放浪者たちロムが、フランスでの滞在を不法とみなされ、警察にキャンピングカーや私物を没収されて、ショワズィ・ル・ロワ市の体育館に数週間収容されていたが、いよいよ着の身着のままで強制追放となったのを契機に、外国人を嫌って阻害したり一つの民族を集中して迫害しつづける政府の態度を糾弾するデモが、全国規模で大々的に行われた。パリではその数、5万人(当局の発表では1万2千人)、トゥールーズでは1500人から3000人、全国で総勢10万人が反対デモに参加したといわれる。 「ロムといってもルーマニア人に変わりはなく、ルーマニアは欧州連合の一員で、フランス人と同じ立派なヨーロッパ人です。それをフランスから追い出すなんて、とんでもない。人道に悖る」とジョゼ・ボーべがテレビカメラの前で発言。 フランスの外国人嫌いとロム追放は国連が批難するまでになっているが、今回パリに連動してイタリアでも、イタリア人やフランス関係者をまじえたデモ隊がローマのフランス大使館を取り巻き、フランス政府の外国人政策を批難した。(S.H.)

もう一度現代文化、サルコジの文化嫌い 

いつの間にかサルコジ攻撃をするほうに回って、アクチュアリティなどもサルコジ批判に関連するニュースを多く取り上げるようになった。思い出すのは、ニコラ・サルコジが大統領に選出された2007年の初夏、フランスの全国紙『リベラシオン』の第一面は、ほぼ毎日がサルコジ批判だったことだ。『リベラシオン』はどちらかというと革新系の新聞だが一般庶民的な新聞でもあり、たとえばサルコジが「ナショナル・アイデンティティ」を提起しはじめ、世間が大騒ぎをし始めたころ、新聞の第一面に北アフリカ系の顔をした「フランス人」が、レントゲンの機械の向こうに立ち、こちらから医者が虫眼鏡で映し出されている白黒のレントゲン写真を「骨の髄まで」フランス人かどうか検査している風刺漫画が描かれたりしていて面白がって読んでいたが、記事の内容はというといかにも深刻で、ユダヤ系フランス人が身分証明の更新のときに、役所で「宗教証明」なるものを提出するように命令されたとか、十年以上フランスで出稼ぎをしてお金をためた外国人が家族を故郷から呼び寄せようとしたところ、法律改定でそれが不可能になり、家族は別れ別れのまま一緒に住めないとかいった、フランス人や外国人の扱いに関する細則がじわじわと締め付けるように改定されていくというものだった。…

二つの射殺事件(5)、警察襲撃が続く

8月4日に特別機動隊100人を投入する大掛かりな突撃で逮捕された4人は、翌5日、事件に直接関係のないことがわかって釈放された。当局は、彼らの事情聴取で殺された犯人の共犯を突き止めることができたと発表。すぐに解放されたものの、捕まえられた4人の若者の弁護側は、「何も大げさに武装して突撃して連行するほどのことではなく、召喚状で警察に出頭させて証言させることで十分だったはず」と怒りを示している。 同4日の夜から5日の夜にかけて、ほかの3つの町でまた警官へ向けて実弾による発砲事件が発生した。 ブルゴーニュのオーセール市で、警察の車に小銃で発砲する事件が発生。また、パリ近郊のバル・ド・ワーズのビリエ・ル・ベル町で、車を検査していた警察に15人ほどが発砲。もう一箇所はリヨンの近郊、ビルフォンテーヌ町で、警官の自宅に向けて拳銃で発砲。警官の自宅には家族が寝ていたが、三つの発砲事件でいずれもけが人はなかった。 サルコジ演説とそれに引き続くこれ見よがしの内務大臣の指揮による捕り物が、かえって相手の暴力に油を注いだかたちで、即日警察に対する発砲事件があちこちで起き、こんどは自分たちが標的になるのではないかという懸念が警察や機動隊のあいだに広がりつつある。 サルコジ大統領の、ときに非論理的な言動に、一部の国民がたてをついて状況が泥沼化していくのは今に始まったことではない。 政府の刑法修正に絡んだ国籍剥奪に反対する国民が、インターネットで署名運動を始め、多くの反響を集めている。国籍没収に反対の署名数2日で2000人(バカンスで国民の50%が不在のあいだの数字としては大きい)。 一方で、きょうの日刊新聞ル・フィガロの世論調査では、以外に同調者が多く、1. 女性の割礼や重婚(アフリカに多い一夫多妻制)罪に対する刑罰として80%が賛成、2. 警察や機動隊への攻撃に関し70%が国籍剥奪に賛成している。野党社会党書記長はこれについては沈黙状態。のみならず、社会党の中でも50%が賛成しているという。「フランス国籍を簡単に認めて大量の外国人をフランス人にすること自体がおかしいことをむかしから提唱しています」とは、極右フロン・ナショナルのマリー・ルペンの発言だ。国籍没収とともに国籍授与条件も再考されるのか。刑罰枠内での国籍没収案はこの秋、移民大臣から提出されるもようだ。

二つの射殺事件(4)、サルコジ派の巻き返し

8月最後の閣僚総会 - 8月3日、憲法に反するとして非難轟々のサルコジ演説を受けて、移民大臣のエリック・ベソンが、外国人のフランス国籍の没収に関する修正案を提出するむねを発表した。「憲法を変えなくても、国籍関係は条例で修正することができる」とはエリック・ベソンの言。犯罪に対する刑罰に絡んだ国籍没収に関する法律は、与党の思い通りに改定へ法案化する気配だ。 ある社会党野党議員は、「政府は国の安全にかんするサルコジ政策の失敗を、(外国人の事件にふりむけてることで)カモフラージュしようとしている」と糾弾。 実際、グルノーブルに限らず、街中で車が一度に数百台燃やされるといった破壊事件は、クリスマスから正月にかけて、キャトルズジュイエなどといった際にも頻繁に各地で発生しているのだが、そうしたフランス全土にわたる破壊行為や非行の暴走傾向については、サルコジ政府は何ら根本的な対策を示してはいない。 この閣僚総会を最後に、閣僚たちは3週間の夏休みに入る。すべては秋に議論再開。(S.H.) 8月4日明け方、グルノーブルのカジノを襲った強盗団逮捕 - サルコジ大統領の外国人の犯罪に対するフランス国籍没収演説の引き金を引いたグルノーブルの事件で、カジノを襲って仲間の一人が警察に撃ち殺されたのをうらみに、三日連夜市内の60台の車に放火したり機動隊に発砲するなどの危険な行動に出た強盗の一味が、きょう早朝、100人という大人数の武装した機動隊、地域特別警察、刑事警察の混合部隊をによってビルヌーブの自宅アパートに潜伏していたところを逮捕された。逮捕されたのは4人で、うち2人は未成年。残りは19歳。この特別厳重な武装刑事警官隊による突撃逮捕は、サルコジ大統領の意思を受けた内務省の命令によるもので、政府の態度を国民に見せつけようというもの。朝6時の逮捕はテレビカメラの前で行われている。(フランス2TV発表)

二つの射殺事件(3)、サルコジ大統領暴走

8月2日、サルコジ大統領と右派政府の、国家の安全の名の下にエスカレートした犯罪にたいする刑罰の「提案」内容について、早速、憲法をつかさどる国務院や憲法学者から「違憲」の声が上がった。 1. フランス国籍を有している外国人が犯罪を犯した場合、犯罪者のフランス国籍を剥奪するという刑罰は、「フランス憲法は、フランス国籍を有するものはその出自や宗教を問わず、法の名に置いて平等に処せられる」という基本法を無視するするものとして、違憲である。出自が外国人だということでフランス国籍を剥奪することは、フランス市民を二つのカテゴリーに分類してしまうことになる。(差別の元となる。) - 平等である法の前では、フランス人が同じ犯罪を犯した場合、フランス人の国籍も剥奪する(無国籍にする?)ことになるのか。あるいはサルコジ大統領は、憲法改正を要求することになるのか。 2. 未成年が犯罪を犯した場合、その両親が禁固刑の実刑を受けるというサルコジ派の提案に対し、「フランス憲法は罪を犯した当事者のみがその罪の償いをする」ことを明記しているので、これも「違憲」。 - それでは、やはりサルコジ大統領は憲法改正を要求することになるのか。 我田引水的に刑罰を国籍剥奪や移民問題に結びつけ、憲法を飛び越えて法案化へ先走るサルコジ大統領と右派政府には、野党を含めあちこちから「吐き気がする」、「嫌悪すべき大統領演説」といった意見が投げかけられている。 My opinion: すでにほかで、2007年サルコジ大統領は就任早々ナショナル・アイデンティティーを問題に取り上げ、フランス人であることを改めて証明しない限りは、パスポートや身分証明書の更新(双方とも10年ごとに更新をするのが決まり)をしないという通達を出し、このために多くのフランス人が迷惑をこうむっていることを述べた。 両親も祖父母もフランス人で家族もみなフランス人なのに、ただイギリスで生まれたという事実だけでパスポートの更新ができない、という人のブログがあった。母親が妊娠しているときにイギリスにいて、現地で出産したというだけのことらしい。フランスからのパスポートが出ないので困窮したその人は、一度も住んだことがなくまた税金も払ったことのないイギリスへ思い立ってパスポート申請をしたところ、すぐに郵便で送られてきたという。ヨーロッパでは生まれた土地の権利が発生する。その権利に訴えたというわけだが、フランスで税金を支払っていても、生まれた土地ほどの権利の補償にならない、ということを証明するような話しだ。この事例は一つの事例に過ぎないが、サルコジのナショナル・アイデンティティー条例のせいで、更新がややこしくなり、必要書類の捏造が増えたというもっぱらのうわさだ。 フランスは植民地などの歴史的な因果関係で多くの外国人がフランス国籍を有する。また国籍取得権利と国の独立がかみ合わず、フランスで働いて納税していながら、滞在許可証さえ発行されず、国外にも身分証明がないので出られないという人々もいる。人間の不平等を抱えたまま、それを解消するどころかますます激化するサルコジ政権である。(S.H.)

レユニオン島も世界遺産に指定

La Réunion - フランスの海外県であるインド洋マダガスカル島沖に位置するレユニオンも、アルビに引き続きユネスコから人類の世界遺産に指定された。レユニオンは島半分が国立公園に指定され、地形の美しさや活火山、動植物の種類の豊富さなど類まれな自然の宝庫として、自然遺産に指定された。フランス領で人類の世界遺産に指定されたのはこれで35箇所目、自然遺産は4箇所目。

アルビ市、人類の世界遺産に指定

Albi -  南仏ミディ・ピレネ地域タルヌ県のアルビ市が、ユネスコから人類の世界遺産に指定された。14年前からユネスコに指定請願を提出して待ち望んでいたもの。アルビ市はトゥールーズ・ロートレックが生まれたところとしても有名で、ロートレック美術館があり、屹立する歴史建造物のうち丘の上のサント・セシル大聖堂がその荘厳さできわだっている。川を挟んで全体にレンガ作りの町並みからくるオレンジがかった風景は絶景だ。ユネスコに指定された人類の世界遺産は現在これで908箇所。 歴史建造物の一つ、サント・セシル大聖堂(Sainte Cécile 写真)は南仏ゴシック様式で、レンガ造りの聖堂として世界一を誇る。1282年から1480年にかけて建設されたもので、長さ113m、高さ40m、幅35m。 トゥールーズ・ロートレック美術館: http://www.musee-toulouse-lautrec.com アルビ市公式サイト: http://www.mairie-albi.fr/

二つの射殺事件(2)

7月30日金曜、ニコラ・サルコジ大統領がグルノーブルに出向して、国家の安全の名の下に、「フランス国籍を持つ外国人が国を守る警察や機動隊、軍隊などに命にかかわる危害を加えた場合、犯罪者のフランス国籍を剥奪する」という演説をし、即日大きな波紋を及ぼしたことを昨日のアクチュアリティで述べた。大統領演説に応えて、8月1日の今日、オルトフー内務大臣は、フランス国籍剥奪が適応される場合を広げるむね提案をした。内務大臣の提案によれば、現行法に加えて、アフリカに多い女性の割礼や人身売買、重大な非行や犯罪を犯した場合も、フランス国籍剥奪の対象とするという。これをさらにUMPの国会議員が敷衍し、「外国人の未成年が重大な罪を犯した場合、その両親を禁固刑処分にする」法案を提出することを決めた。子供の犯罪による両親の拘置は2年未満という。これらの法案は9月早々に国民議会にかけられるもようだ。未成年の非行が学校で問題化した場合も、この法案が適用され、国籍剥奪の対象となるという。 このニュースをきょうのフランス2のTVアナウンサーは、「突発的な災厄がまた一回り大きくなった」と形容した。国務院が管理する現行法が大統領の意思にそぐわないならば法律を変えてしまおうという現政府の強行な態度のみならず、未成年の犯罪責任を両親にとらせ、犯罪を犯してはいない人間を禁固刑にするなどという法案を発表したからだ。野党社会党書記長のマルチーヌ・オーブリィは、「右派政府、狂気の沙汰!フランスを破滅に追い込むことになる」と糾弾。グランド・バカンスがこの論議で一気に熱湯のように沸騰し始めた。(S.H.)

二つの射殺事件

7月17日と18日にフランスの二つの町で二つの事件が起きた。7月17日はグルノーブルの近郊都市ビルヌーヴで、カジノを襲った数人の若い強盗団が警官隊とぶつかり、27歳の強盗の1人が撃ち殺された。逃走した仲間のグループは翌日夜、仕返しに市内に停められていた車60台に火をかけて燃やし、警察と保安機動隊をめがけて拳銃で発砲した。これら若者グループを制圧すべく、機動隊は150人を投入。追撃は明け方5時まで続き、若者5、6人が検挙された。過去、研究文化の都市といわれてきたグルノーブルであるが、近年その周辺都市が犯罪の巣窟化した現状がこの事件でクローズアップされることになった。 もうひとつの事件は、 ロワール・エ・シェール県(県庁所在地はブロワ)のサン・テニャン市で起きた。7月18日、保安機動隊のバリケードを破ろうとした22歳の若者がその場で機動隊員に射殺された。やはり翌日、殺された若者の仲間が仕返しに車5台に火をつけ、公共の建物の入り口を壊したり並木を切り倒したりするなどの暴動に近い行動に出た。事件後事情徴集を受けた殺された若者の兄は、「機動隊のバリケードを破ろうとなどしなかった。私たちはそばを通りかかっただけなのに、発砲されて弟が犠牲になった」と、機動隊の届出とはまったく食い違う陳述をした。この兄弟はいわゆる「旅行を専門とする人々」と呼ばれる放浪者たちで、強盗をしたわけでもなくまた銃器などもまったく所持していなかった。この事件で、ヨーロッパをキャンピングカーで渡り歩く「旅行を専門とする人々」のあり方が問われ始めることになった。…

ルーアン、作品の一部破壊で警戒態勢

7月19日、ルーアン市植物公園のチーフから電話があり、「透明球体の大きいやつが一個やられたので、今朝警察へ行って届けを出しました。球体は120cmほどの穴が開いています。ついては被害金額を・・・」と言ってきた。フランスでのこうした芸術作品にたいする暴力は今に始まったことではなく、野外の展示ではほとんど90%がバンダリズム(故意の作品破壊)にあう。私の空気を入れた球体のインスタレーションも、設置が完了したその日に、数十人の子供が飛び掛り、蹴ったり殴ったり、のしかかったり、ケーブルをいたずらしようとしたりの大騒ぎが始まった。こうした人害だけではなく、大嵐などの悪天候にも耐えるよう、今回はポリウレタンの強靭なソフトプラスチック材を選び、野外の設置に臨んだといういきさつがある。 このポリウレタン材は、素手で殴ったりのしかかったりしても破裂をするような材料ではなく、まだ傷んだ球体を見ていないからなんともいえないが、120cmの穴が開いているというからには、ナイフか何かで切りつけたものと思われる。すでに、先々週ルーアンに戻った際、球体の足元から山ほどの石が見つかった。わざととがった石を選んで拾い、球体めがけて投げつけて穴を開けようとする子供がいるらしい。一人や二人の子供ではない。それにしては芝生の上に転がっている石の数が多すぎるのである。そんなひどい目にあっても、設置した7個のすべての球体は、まったく何ごともなかったかのように平然と存在し続けていたのだった。 この球体が致命傷を受けたのは、植物公園が閉まった夜のことらしい。日中は自転車に乗った警官が二人、見回りをしてくれることになっているが、閉園する夜は誰もいない。この事件で、ルーアン市は、これから5日間、24時間態勢でガードマンを置き私のインスタレーションの警戒にあたることを決めた、という連絡がさきほど入った。 さて、気分なおしに、今回のインスタレーション《アペル・デール》への反響を拾ったので、ご紹介したいと思う。このブログに掲載されている写真は、愛を感じるほど美しい。 推薦ブログ Le gout des livres 2010/07/21 (S.H.)

展覧会

トゥールーズ - Toulouse, キャナル・ドュ・ミディ Canal du Midi(ミディ運河)建設120周年記念、現代アート野外展《シュマン・ドー(水路)》、トゥールーズ市企画。2010年6月28日から9月19日まで。 Artists: Romain Pellas, Deev Vanorbeek, Thomas Sabourin, Pédro Marzorati, Gilles Brusset, Denis Tricot, Le Phun, Pierre Surtel, Héléna Sellergren, Alain Prillard, Veronique Matteudi, Dimitri Xenakis, Caroline Delannoy Commissioner : Didier Kimmoun Contact : Hôtel de Ville BP 999 31 040 TOULOUSE Cedex 6 Tel : 05 67 73 80...

フランス、現代文化政策の終焉か?

新文化省にみる現代文化政策崩壊のきざし - ニコラ・サルコジが大統領に就任した年(2007)の12月に発案されていた文化省の再構成が、2010年1月13日、実施の運びとなった。それまで10の各文化・芸術分野の専門の管理局があったが、4つにまとめられて「見通しの良い管理構成を持つ目的で」あたらしい文化省が発効した。(政府の文化エキスパートの放逐と文化行政部の縮小とみられる。) 新たな文化省の構成は以下のとおり。 ・Le secrétariat général(事務総局)、 ・La direction générale des patrimoines(文化遺産局)、 ・La direction générale de la création artistique(芸術創造局)、 ・La direction générale des médias et des industries culturelles(メデイア・文化産業局)、 省間庁: Délégation générale à la langue française et aux langues de France(フランス語とフランスの言語総合庁) 地域の文化省: ・Directions régionales des affaires culturelles(DRAC 地域文化振興局) ・Services départementaux de l’architecture et du patrimoine(建築文化遺産に関する県内サービス) ・Les établissements...

れきしの点と線 - コミッション

年譜: 1959年-1969年 シャルル・ド・ゴール大統領 初の文化省設立、アンドレ・マルロー文相が10年一貫して在任 1969年-1974年 ジョルジュ・ポンピドー大統領 文化省継続 1974年-1981年 ジスカール・デスタン大統領 文化は閣外局に格下げ 1981年-1995年 フランソワ・ミッテラン大統領 文化省の再建、ジャック・ラング文相 1983年文化予算倍増 1995年-2007年 ジャック・シラク大統領 2007年-     ニコラ・サルコジ大統領 予算獲得に四苦八苦したアンドレ・マルローのあと5年経つかたたないうちに、文化省は「省」格を取り上げられてしまった。1977年1月に国立近代美術館を入れた新しい文化センター、ポンピドー国立文化芸術センターが開館したのを除いては、ジスカール・デスタン時代の閣外局が7年も続いて内閣のなかの文化はほとんどといっていいほど力を発揮できず、また進展もしなかったらしい。7年という長い空白から、1981年のミッテランの《レ・グラン・トラボー》宣言への大転換は、並々ならぬ試練を乗り越えなければならなかった。 ジャック・ラングの大臣室長だったジャック・サロワがこう洩らしている。「文化省の重要なポストについていながらなにしろ経験が浅すぎ、経済省の役人と対等にやりあってバジェットを動かすのもなかなか難儀な時代だった。・・・。また省の人員も、バジェットの取り合いに明け暮れるだけの人間が入り混じり、真の文化の大望のために省の中においても戦わなければならなかった」。 確かに、1980年代初頭にフランスに来た私などは、どこに行っても何かが壊れるか盗まれるようなフランス社会の荒れように心底驚いたが、あちこちで大工事がはじまるのを目のあたりにし、悲惨な社会をかかえたフランスのいったいどこから資金が沸いて出るのか、荒廃した日常と文化にかける莫大な大工事費との大きなギャップが不思議で仕方がなかった。文化省はこのとき、 再建といってもほとんど一からの出発である。文化の多様な姿を実現するにあたって、過去の正論をあちこちから拝借し今流に味つけするなどの苦心をあちこちにちりばめたようである。 ド・ゴールとマルローの60年代、衛星都市を中心に新しい都市を建設して新しい産業を発展させるプロジェクト、「新都市 Les Villes Nouvelles」計画が誕生した。マルローは、国の役割のひとつはコミッション(作品発注)だといったが、三種の神器とも言うべきコミッションについてミッテラン時代は、新都市計画を改めて推進する際、各都市の環境に適合した現代アートを大々的に組み込む計画を立てた。国土開発省の新都市建設プロジェクトを利用してコミッションを生み出し、モニュメントを新都市のあちこちに生みつけたわけだ。パリの西に建設された経済都市ラ・デファンス建設の際も数多くの現代アート作品が組み込まれているのは周知の事実である。 1960年代から開発の新都市は全国で9箇所、パリ周辺では5箇所: セルジー・ポントワーズ エヴリィ セナール サン・カンタン・アン・イヴリン マルヌ・ラ・ヴァレ