1989年11月9日、1393kmにもわたるドイツを東西に分断していたコンクリートの壁が、ベルリンのブランデンブルグ門に群がるように集まった市民にハンマーやつるはしで叩き壊され始めた。東西冷戦時代の鉄のカーテン崩壊を象徴するように、ブランデンブルグ門の前の壁を喜々として壊し、以前なら東側から西側へ壁を越えて逃走することさえかなわなかったこの壁の上によじ登り、笑顔で立ちならぶ人々の映像が世界中に報道されて今年で25年が経つ。

25年後の今日、統合後のドイツの発達と変容は目覚しく、ヨーロッパ一の経済大国を誇るまでになった(フランス2TV)。…

すでに1988年夏からハンガリーから毎日のように市民が西側へ逃走。ソビエト連邦の体制弱体化に対応するゴルバチョフのペレストロイカが始まっており、ライプチヒで行われていた3万人の平和デモに対し、1989年10月3日、東ドイツ成立40周年を記念して東ベルリンに訪れたゴルバチョフは側近に、武力による鎮圧は回避すべきと表明した。11月4日、東ベルリンにおける平和運動が拡大の一途をたどるなか、5日後の9日、東ドイツの報道責任者ギュンター・シャボウスキー (Günter Schabowski 1929年1月4日-、元東ドイツのドイツ社会主義統一党SEDの政治家、ジャーナリスト)が18時57分、テレビの生番組で、閣僚委員会の決定計画書を読み上げたのである(一部でこのときまだ発表段階ではなかったともいわれる)

むしろ平然とした様子でシャボウスキーは、「外国への私用旅行は、家族面会の必要性や旅行の目的などを含む証明書の提出がなくとも、許可される。許可発行は即座に行われなくてはならず、このための条例が発効するのに時間はかからない。警察はビザの発行や無期限の旅行許可発行のための登録を責任を持って行う。… 西ドイツの境界のいかなる場所でも、長期を含むすべての旅行が可能となる」と言った。「いつ、実行されるんですか?」とジャーナリストが訊ねたのに対し、シャボウスキーは「今すぐです」と答えた。

これを受けて直ちに西側でテレビやラジオが「壁が開いた!」と報道。何も知らされていなかった境界線の警備隊や国家安全警備責任者は東ベルリンから津波のように押し寄せた人々の勢いに押されるがままとなり、23時ベルリン各所で壁が開かれ始めた。11月9日から10日、こうして28年間にわたって東西を分断したベルリンの壁が落ちる様子をテレビが世界中に伝えることとなった。

ベルリン市を真っ二つに分断したコンクリート壁の長さは155km。そのうちブランデンブルグ門を中心に15kmにわたって、ベルリンの壁を再現する風船が並べられた。風船はLEDで白く照らし出され、壁崩壊の時刻が来ると、一つ一つ解き放たれて白い点線を描いて空へ舞い上がる。25年目の記念日の今日は、アンゲラメルケル首相が冷戦時代にベルリンの壁を越えようとして犠牲となった140人あまりのドイツ人にたいしバラの花を壁に挿して黙祷。来賓の旧ソビエト連邦の立役者ミカエル・ゴルバチョフと歓談するなど、コンフェランスやコンサート、花火などの催しが夜中まで続いた。

・ベルリン、壁崩壊から25年 Berlin fête le 25e anniversaire de la chute du mur (Euronews)


Ajoutée le 9 nov. 2014

・ベルリン、西へ逃亡しようとして殺された東ドイツ人に献花

Berlin : hommage aux Allemands de l’Est tués en tentant de fuir la RDA (Euronews)


Ajoutée le 9 nov. 2014

25年目の記念日の今日。「壁・メモリアル」博物館が開館。

・トラバントでわたるあの橋


Ajoutée le 9 nov. 2014

「ボルヌホルマー橋をトラビでわたる、というのが当時の習慣だった」。トラビとは東ドイツの車、トラバントのこと。ベルリンの壁崩落の日に一番先に開いたこの橋は、旧東ベルリン市民のシンボルのひとつだ。東から東ドイツの車トラバントで橋を渡って記念日を祝う人々を取材。

・8000個の風船を放つとき Lâcher de ballons à Berlin pour commémorer la chute du Mur (AFP)


Ajoutée le 10 nov. 2014

・風船のコンセプトとアーティスト


アーティスト http://www.christopherbauder.com/#/cb/lichtgrenze