今年の11月11日の休戦記念日は特別だ。1914年に第一次世界大戦が勃発して100年を迎え、激しい戦場となったヨーロッパ各地で大々的な記念行事が行われた。フランスTVは100年目に際して、第一次世界大戦の傷跡を特殊な航空写真を検証する考古学者の目で激戦地ヴェルダンが受けた弾痕による土地の疲弊を追い、また、闘いで初めて使われたという化学兵器(マスタード弾と呼ばれた催涙爆弾)で汚染された土地に訪れ、今日も立ち入りが禁止されている地区を取材した。ここでは未だに毎日のように不発弾や銃弾が採取され続けている。(下のビデオ参照:汚染されたヴェルダンの土地で、2012年だけで47トンの不発弾採取)。100年後の傷跡はまだ生々しい。…


・汚染されたヴェルダンの土地、2012年だけで47トンの不発弾採取

Guerre 14-18: plus de 47 tonnes d’obus ramassés en 2012 | Sols contaminés à Verdun

1914年6月28日にサラエボでオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻がガブリロ・プリンシプに銃撃され殺された事件が発端といわれているが、むしろ当時、複雑な同盟、対立関係にあったヨーロッパ列強は連鎖的な戦争戦略の発動を食い止めることができず、瞬く間に世界大戦へと発展したと考えられている。ドイツ、オーストリア=ハンガリア、オスマントルコ、ブルガリア4国の総勢2500万強の兵力に対し、連合軍側(ロシア、フランス、イギリス、イタリア、ルーマニア…、アメリカ、日本、中国を含む)の兵力4300万人を投入する戦いは、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、アジア大陸等で行われ、ドイツ、オーストリア、ハンガリア側は死者440万人、負傷者840万人、不明者363万人。ロシア、フランス、イギリスなどの連合軍側は死者553万人、負傷者1300万人、不明者412万人を出した最悪の戦いとなった。(一般市民の死傷者はこれに含まれない。)

要約すると、第一次世界大戦の戦死者数は約900万人。障害者になった兵士は800万人。つまり、一日に6000人が戦死した計算となる。イギリスの戦死者行方不明者は120万人。フランスは140万人が死亡あるいは行方不明となり、この数は当時の働く男性の10%にも上った。

独墺伊三国同盟(黄土色)と当時のフランスの地図。青い丸の部分は激戦地

 

ドイツ軍の進撃は黄土色の矢印。ヨーロッパ図(上)の青丸部分の拡大図

 

1918年11月11日明け方5時過ぎ、ドイツと連合軍の休戦協定が締結され、協定は同日11時に発効した。休戦は列車で移動中のフォッシュ元帥が締結したため、「列車休戦」とも呼ばれている。36日間の停戦を繰り返し行うという内容で、この停戦状態は1910年6月28日のベルサイユ講和条約締結まで続いた。

2014年11月11日、11時。フランソワ・オーランド大統領はパリの凱旋門に埋め込まれた無名戦士の墓で献花。黙祷をささげた。

・ロンドンタワーに咲く赤いケシ(ポピー)の花はセラミック Une marée de coquelicots à la Tour de Londres


Ajoutée le 3 nov. 2014
ロンドンタワーの周辺に90万個の赤いケシの花をかたどったセラミックがインスタレーションされて、ロンドンを訪れる人たちの目を引いている。3日のウィークエンドは、観光客が押し寄せてメトロの入り口を封鎖するほどとなった。これは第一次世界大戦で亡くなった兵士の数をケシの花で表現したもので、最後のケシが11月11日に土の上に刺されることになっている。

http://www.lemonde.fr/europe/article/2014/11/08/les-poppies-deferlent-sur-la-tour-de-londres_4520707_3214.html

正確には888246本という数の焼き物の赤い芥子の花のインスタレーションをしたのは、トム・パイパーTom Piper(劇場デザイン)とポール・カミングス(セラミック・アーティスト)だ。イベントの終わる11月12日にはインスタレーションの撤去がはじまるが、セラミックの花は予約を入れた何百もの観客に一本25リーブル(32ユーロ)で売られ、売上金は退役軍人の協会へ寄付されることになっている。芥子(ケシ)の花は「死」と「栄誉の戦場」を意味する。ちなみにこの作品の名前は《流れた血は土や海を赤く染めた》だ。(ル・モンドから抜粋)

http://www.rtbf.be/video/detail_reportage-tf1-commemoration-de-la-grande-guerre-dans-la-somme-en-france?id=1968939

・La Première Guerre Mondiale (1914-1918) – Documentaire histoire (実録「第一次世界大戦」、57分)

http://youtu.be/bx00FvX4IZI (実録、第一次世界大戦)

フランスでは、ノートル・ダム・ド・ロレットに《記憶の円環》と題されたメモリアル(記念碑)の竣工式がフランソワ・オーランド大統領によって行われた。この巨大な楕円の建造物の内側には、ノール・パ・ド・カレのこの地域で第一次世界大戦で命を落とした兵士の名前を、敵方、味方を問わずアルファベット順に彫りつけた3mの鉄の板が500枚張られている。その数、579 606 人。名前は各国から寄せられたリストで構成されており、イギリスのCommonwealth War Graves Commission (CWGC)からは、この近辺の軍人墓地800箇所に埋葬されている241 214名のリストが。またドイツのVolksbund Deutsche Kriegsgraberfursorge (VDK)からは、173 876名。フランスは旧植民地諸国(インドシナ、セネガル、アルジェリアなど)も含め、106 012名。またスイス、チリ等の外国人部隊や、ベルギー、ポルトガル、ロシア、アメリカ人の名前もある。

http://www.lemoniteur.fr/155-projets/article/actualite/17980771-nord-pas-de-calais-un-anneau-de-memoire-pour-les-soldats-de-la-grande-guerre

http://www.liberation.fr/societe/2014/11/10/un-anneau-de-la-memoire-pour-580-000-soldats-de-la-grande-guerre-inaugure-mardi_1140261
ちなみに総工費800万ユーロ。建築家はPhilippe Prost。