「科学プログラムにおける調査」と称して続けられる日本の捕鯨。実は絶滅種を含むクジラ目の捕獲は特定の海で禁止されている。クジラを殺す行為が本当に「科学的調査」のためであるならば、その成果があってしかるべき、というのが国際司法裁判所の意向だ。いったい禁止されているクジラ捕獲を日本が正当化しようとし続けるのはなぜなのか。ここでは、2014年5月に発刊されたフランスの『シアンス&アヴニール(科学と未来)』誌が掲載した「日本の調査捕鯨、禁止」と題された記事を紹介。日本に向けられている世界の目とは? …

国連機関である国際司法裁判所(International Court of Justice、略してICJ)は、日新丸(現在唯一のクジラ解体船)に南極海のサンクチュアリから出るよう命令した。2014年3月、南極洋に近いオーストラリヤやニュージーランドが訴えを起こし、国際司法裁判所は日本が行っている捕鯨は「科学」のために行われているものではなく、また1986年に制定されたモラトリアム(クジラ目の捕獲を禁止)を犯すものだと判断した。

日本は2005年以来、JAPRPA(Second Japanese Whale ResearchProbram under Special Permit in the Antarctic 南極特別許可のもとの日本クジラ調査第二次プログラム?)と称し、南極のエコシステム、クジラの群生、および天敵生態系の研究を名目に、年間850から932頭のクロミンククジラ、50頭のザトウクジラ、50頭のナガスクジラ(UICN 国際自然保護連合は、ナガスクジラを絶滅危惧種として指定)を捕獲しているのだ。

これについてカリフォルニア大学の生物数学者マーク・マンゲル研究所所長は、「JAPRPAは、調査サンプルとして捕獲すべきクジラの捕獲制限量をまったく無視していて、これでは科学目的とは考えにくい。もっと政治的、機構的、かつ金銭的な問題でやっているのではないか」と述べている。また、2005年の第一次調査が終わった後すぐに、第二次調査では大きなクジラを目標としており、「さしみにしてうまい」ものを殺しているふしもあり、科学的な調査報告などとは程遠いすがたがある。

また、日本は南極海のみならず、北太平洋でも同じように調査と称した捕鯨を1994年(第一次調査)、2000年(第二次調査)と行っているし、日本海沿岸でも調査捕鯨がちょくちょく行われていることを言及しておかなければならない。国際裁判所は、「いい加減に偽善をやめ、これから禁止を敢行すべき」という態度を明らかにしたという。

  • 日本の「調査」結果: 2005年以来、提出された調査にかんする記事は2つ。報告レポート、3通。調査ドキュメント8個。
  • 日本の「調査」のための捕獲量: 2005年以来、クジラ3600頭。
  • 日本の調査捕鯨に必要な費用: 年間2830万ユーロ。
  • アイスランドとノルウェーはサンクチュアリでの捕鯨禁止規則を守りつつ、商業捕鯨再開。主なマーケットは日本。

(シアンス&アヴニール(科学と未来)、2014年5月号から)

 My opinion: この記事の要約はこういうことだ。日本は「調査」と称し、「捕鯨禁止区域」で「絶滅危惧種を含む鯨をこの10年で3600頭捕獲」。その多くは「食用」にされ商業化されている。商業化するならば、アイスランドとノルウェーのように、「禁止区域での捕鯨を止め」、ほかの許容海域で「商業捕鯨」の名目にして捕鯨すべきである。

捕鯨調査団が「邪魔をされた」、あるいは「妨害された」というニュースはよく聞く。船に体当たりをされたとか、暴力的な行為を受けたという話はよく聞くのだが、それだけ熱心に日本はクジラの「調査」をするためにクジラを殺しに行っていることになるのか、と不思議に思わない人はいないはずだ。捕鯨禁止、調査捕鯨、グリンピースの暴力など、そのあたりで起きていることに漠然としたこなれない感覚が残るのは、実は日本側のニュースだけでは情報が不足しているからではないだろうか。

ここに書かれたように、まず問題となるのは調査のために殺すクジラの量だ。シアンス&アヴニール(科学と未来)誌の日本の捕獲したクジラの頭数をみると年間850頭と言ってみたり、2005年から3600頭が捕獲されているといってみたりして、数字がかみ合わないのが少々残念な気がするが、ともあれ、殺した数が「多すぎる」のが印象に残る。こんなに多くのクジラがどういった調査をされているかというと、国際捕鯨委員会に提出された書類のお粗末なこと。ほとんど何もやっていないのに等しい。「調査」という言葉に名を借り、じつは「商業」捕鯨をしている事実はもう隠しようがない。

言葉のすり替えは、現今政治屋の得意技らしいが、世界に出ると、通用しない。乱獲のみならず、地球汚染や大洋の酸性化による生態系の変化、地球温暖化などの環境変化で、絶滅危惧種が激増している今、世界は、地球とその未来を見ているのである。その世界へ向けて日本から「クジラは美味しいから、食文化を守りたい」(某テレビ局で発信)というのは、どう見ても視野の狭いローカルなエゴにしかみえないと思うが、皆さんはどうだろう。クジラがなくても、日本は立派にやってけるはずではないか。どこを見ても、将来を考えない政略が横行しているとしか言いようがないではない。(S.H.)