[プロジェクト「ウォーター・フットプリント」]

構想は2012年。実現は2014年4月、フランス、フィニステール県トレヴァレーズ領での企画展「アーティストの視線」。

展覧会「Regard d’artiste」:

トレヴァレーズ領の企画展覧会(アーティスト二人の作品プロフィール):
- Shigeko Hirakawa : Water Footprint Project
- François Méchain : Perspectives

Domaine de Trévarez, Saint Goazec, France

会期:2014年4月12日から10月13日まで、毎日開館。

企画:フィニステール県、EPCC Chemins du patrimoine en Finistère

サイト:http://www.cdp29.fr/fr/agenda/view/151/shigeko-hirakawa/ 

Trévarez: トレヴァレーズ領、便利インフォメーション 

 

平川滋子、プロジェクト「ウォーターフットプリント」の内容と展示作品:

  • インスタレーション「ウォーター・フットプリント」(55トンの水の上を歩く)
  • パフォーマンス「水を追いかける」(1800トンの水を染めて放水)
  • インスタレーション「オー・アン・ブル」

パフォーマンス「水を追いかける」の実施日:
・Festival of Rhododendron, 5月10,11日
・Rendezvous in the Gardens, 5月31日、6月1日
・ヨーロッパ遺産の日,9月20、 21日

インスタレーション「ウォーター・フットプリント」(55トンの水の上を歩く)Photo:S.H.

 

「ウォーター・フットプリント」とは?

おおまかにいうと家庭や農業、産業その他で利用されて消費され人間や地域に必要な水の総量のことをさす。

エコロジカル・フットプリントというエコロジー用語がある。大本は、1993年、カナダのブリティッシュコロンビア大学のウィリアム・リースとマティス・ワケナゲルが、「収奪された環境収容力(Appropriated Carrying Capacity, ACC)」として提唱したものらしいが、ことばが難解であったために通りが悪く、「人間活動が地球環境を踏みつけにした足跡(フットプリント)」という比喩から、「エコロジカル・フットプリント(EF)」と言い改められたのだという。人間が踏みにじった後の足跡(フットプリント)、とは言いえて妙。エコロジカル・フットプリント自体は、人間活動が自然や地球環境に与えるマイナスの影響を再生し元に戻したり、作り出した廃棄物を浄化したりするのに必要な面積として示した数値をいうのだそうだ。つまりこれを解釈すると、人間活動が踏みにじってきたものを再生させ地球環境を元に戻す循環をあらわしている。自然治癒を頼りにほったらかしにせず、意思を持って環境を元に戻すことができるのはやはり人間しかいないという認識が根底にあるということだろうと考えられる。

ウォーター・フットプリントということばは、このエコロジカル・フットプリントから来ており、われわれが現代生活を送るのに自然界から拝借する必要な水の総体の量についての数値をさすことばである。1993年にジョン・アラン教授が「ヴァーチャル・ウォーター」というコンセプトを打ち出した。食べ物や飲み物、ほかの日常品ができるまでにどれだけの水が産業水、農業水として使われているかという計算である。例えば、一杯のコーヒーを得るために実は140リットルの水が使われている。ハンバーガー一個には2400リットル。こうした隠れた水のことを技術的にもヴァーチャル・ウォーターと呼ぶ。つまり、「ウォーター・フットプリント」はヴァーチャル・ウォーターを考える概念であるということだ。

「ウォーター・フットプリント」をプロジェクトの題名にするまで

プロジェクトの大本には実は東北大震災の後に起きた液状化現象の衝撃的感覚があった。自分では体験していないが、大地が水によって揺らぐ感覚は、足の裏の水の感覚として残り、2012年の夏にジュミエージュの企画の話があってテーマが「水」であったことから、「水の上を歩く」ことがいよいよプロジェクトの中心に浮上してきた。ジュミエージュに水はなかったが、世界へ目を向ければいまや水への関心は世界的な環境問題に収斂していくのがよく理解できる。そんな世界の問題の中から見つけたのがこのことば、「ウォーター・フットプリント」。踏みにじる水。まさに脳裏に描いていた足の裏の水を形容するのにこれ以外は存在しないということばに出会ったのだった。

エコロジー用語をあえて私のアート・プロジェクトの題名にするための下調べはなかなか容易ではなかった。言語の定義そのものが、国によっても学者によっても表現がまちまちであったりし、英語、フランス語、日本語の中から篩をかけて端的で分かりやすい表現を探して回ることを余儀なくした。私がフランス語でよく利用する「エコシステム」が、実は日本ではエコはエコでもエコノミー用語として利用されていることを知って愕然としたのもこのリサーチのときである。英語圏でもフランス語圏でも「エコシステム」は地球レベルから地域やミクロコスモスまでの「生態系」のことをさしていう(英語圏の通念で見るエコシステムの例 、フランス語圏のエコシステムの意味)のに対し、今日の日本では経済的な依存関係、または強者を頂点とする新たな成長分野でのピラミッド型の産業構造などを示す用語として用いられるらしい。国境や言語文化の境を見るとき、改めてことばの透過能力に大きな限界を見た思いだった。

私のアート・プロジェクト「ウォーター・フットプリント」

フランスのウォーター・フットプリント(フランス語はEmpreinte sur l’eau/ アンプラント・スュル・ロー)は、インターネットに掲載の二つのレポートから参照した。ひとつはフランス政府公認のサイト、もうひとつはユネスコが発行した70ページ近くにわたる「フランスのウォーター・フットプリント報告書」である。数値にはずれがある。調査年にずれがあるから当然のことだ。ヴァーチャル・ウォーターは平均値や統計値でしかないが、その値がフランスの水消費量を世界の中に位置づける役割をする。どうやら毎年調査報告書が出されているらしいことに行き着いた。

要約すれば、フランスのウォーター・フットプリント数値は、一人当たり一年間で、1786トン。そのうち家庭で使う水は55トン。つまり、フランス人一人が一年生きるために必要な水1786トンのうち、家庭で使う水はたったの3%にとどまり、残りの97%のつまり1731トンは産業および農業用水として使われているという計算となるのである。

ユネスコは何のためにこうしたレポートを作ったのであろうか。数値やパーセンテージから見ると、一般家庭に水の節約を訴えかけてもあまり効果はないことになる。しかし、97%もの水を使う企業や産業へ節約ないしは汚染の軽減を訴えることが節約への効果を生む最も大きな手段であることに誰しもが気づく。ユネスコのレポートのなかで「企業・産業への感化を目指す」という表現は見逃せない。フランス人一人当たりのウォーター・フットプリントを大きさで表すと、ボーイング747型機を二機分だという。

インスタレーションは、55トンの水をつめた防水布でできた貯水槽の上を、裸足で一人ずつ歩くことに決めた。自分が家庭で使う水の上を歩くかたちだ。

結局、領地に水のないジュミエージュはこのプロジェクトを嫌ったため、もうひとつのプロジェクト「忘れられた曼荼羅、瞑想の迷路」を生み出して制作したが、一年後の今日、幸い水の大変豊富なトレバレーズ領がプロジェクト実現の支援を引き受け、ジュミエージュよりもずっと大きな規模で実現が可能となった。

トレバレーズ領は19世紀に当時最新のハイテクを駆使して建てられたレンガの巨大な城で、初めてこの城を見学したとき、水洗トイレや多数の風呂設備、台所に近いところに設置された水槽の数にはたいへん驚いた。ジュミエージュで芽生えたウォーター・フットプリントのアイデアを敷衍して、消費される水97%のほうを作品にできないかと考え、トレヴァレーズの水の管理に関して何か資料はないかと訊ねたとき、『Eau confortable(便利な水)』と題した分厚い論文があることを指摘されて、これを読むことにした。城が建てられる前に地下水路が配備されたいきさつや、領地が山の斜面のようなところにあって、上方に二つの湧き水があり、ここから領地全体へ水を配分すべく溝を掘ったことなどが詳しく叙述されていたのであるが、そのなかで驚いたことに領地の外の湧き水からまずは領地内に水をためるために作られた大きな貯水池が、「1800トン」の水を溜めていたのだ。

1800トンとは、ほぼフランスのウォーター・フットプリントとかわらない量である。湧き水からは豊富な水が間断なく流れている。領地に溢れないように仕切弁や制水弁の設備もある。1800トンの貯水池の水を流すこともある・・・。

フランスのウォーター・フットプリントを話題にするパフォーマンスとして、貯水池の1800トンの水をフリュオレセインで染めて領地内に放水することを提案して、これが了承された。1トンに付き2gで水が発色の良い蛍光緑色になるフリュオレセインを見つけ出して利用(1800トンに3.6kgの計算)。領地上方の貯水池の制水弁を開くと、蛍光緑の水は滝や水路を通って領地を縦断し、領地下方に作られた人工池に到達する。人工池は城の窓から良く見えるところに位置しており、水が鮮やかな緑色になるのが見えることになっている。

「水を追いかける」と題した1800トン水を染めるパフォーマンスは、全国的な文化フェスティヴァルの日程に合わせて展覧会期間中3回行われる予定である。水路を熟知した古参の係員ジャックが、水を染める役を快く引き受けてくれた。

もうひとつのインスタレーション「球になった水(オー・アン・ブル、あるいは「怒る水」)」

領地にはイタリア彫刻の装飾を施した「狩の池」がある。全長約90mで、 700トンほどの水を溜める深さ120cmほどの池だが、ここにも間断なく水が流れ込んでいる。まずは池の水を抜き取ってコンクリートを洗浄し、直径40cm(容積は33リットル)の開口部のあるプレキシグラスの球体を鉄の足に取り付けて並べ、一週間がかりで池の水を満杯にしてから、プレキシグラスの中の空気を抜き取って池の水を吸い込ませ、水面上に水の球体が9つ並んだ形のインスタレーションを制作した。水面より上に水面下と同じ水が入っているので、水がフリュオレセインで染められると、プレキシの開口部から染められた水も入り、球体も緑になる。

インスピレーションは地球と地球の水、真水、そして利用できる水の4つを球体にし水の希少さを視覚化して見せたイメージ(下)だ。このようやく見えるピンホールのようなわずかな水で70億の人間が生きなければならない。水は外の環境と常につながっており、自然の水の循環の中に返されて自然浄化されなければならない。限られた水の限られた浄化のサーキュレーションも暗示している。

DR 大きいブルーは地球全体の水、小さいブルーは真水、点より小さいブルーは利用できる水

疑問となってくるのは、自然のサーキュレーションに戻れない汚染されて死んだ水(水としての性質を損じてしまった水)だ。死んだ水を作り出した人間はいったいこれを半永久的に管理し続けていけるのだろうか。

・関連ページ

http://shigeko-hirakawa.org/blog/?p=8420

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Images 2014年4月

インスタレーション「ウォーター・フットプリント」2014 Photo:S.H.

 

インスタレーション「ウォーター・フットプリント」Photo:S.H.

インスタレーション「オー・アン・ブル」Photo:S.H.

インスタレーション「オー・アン・ブル」と蛍光水 Photo:S.H.

パフォーマンス「水を追いかける」Photo:S.H.

 

ビデオ: