6月4日金曜。朝8時20分の列車でルーアンに向かった。
午前中はラジオのフランス・キュルチュールの記者のインタビューがあり、しかも同じ列車でその記者も来るというので、前もって連絡を取り合ったが、この展覧会ではどうもジャーナリストには運がない。相手の妙な電話の対応でだいぶ閉口して、インタビューなどどうでも良くなっていた。ルーアン美術館では、ノルマンディー・アンプレッショニスト展のためにツアーのかたちでルーアンまで来た記者をレセプションしてコンフェランスが催される日でもあった。
5日がルーアンの植物公園の造園局の局員たちと最初の準備をする予定の日だったために、前日ルーアンに来ることにしたのが、たまたまこのプレス・コンフェランスとかち合うことになったというわけだ。
ルーアン・アンプレッショネ展にはアーティストが6グループ選ばれている。仕事の仕方はそれぞれまったく個性的で、グループで仕事をしているなかでも専門のアシスタントグループを持つ建築のアルヌ・クィーンズはおそらく契約の仕方も企業なみで、私のようなアーティストとはまったく別個なのではないかとおぼろげに推測している。…
私はというと、アシスタントも無くまたグループで仕事をしているわけでもないので、実質的な作業はルーアン市から提供される労働力に頼ることになる。今までも幾度となく企画のたびに現地の人々に世話になった。今回は、インスタレーションの現場が植物園なので、市の造園局が全面協力をしてくれる方向でプロジェクトが進んでいる。
5日の仕事は、前日台湾から到着した5000枚の円盤に穴をあけ、5枚つづりのユニットを作ってケーブルでつなぎ合わせるという木に取り付ける一段階前の準備で、土曜にもかかわらず、副局長二人を含めた総勢15人が朝8時から集合してくれることになったのだった。
いつものことだが、町の人たちと仕事をするときは、作品の説明の詳細を欠かさないことにしている。前もってビデオや写真を見せたり、あるいはプロジェクトの図面を広げてみせたり、相手の感触を見ながらやりとりをする。仕事の最終目的がわかっているか、そうでないかが、かならず彼らの仕事に影響を与えるからだ。
この日、はじめて集まった局員たちには、私が選んだ材料や道具について、サイズや質や量にいたるまで一つ一つ説明をし、作業に取り掛かった。
人を動かすのはいつも難しい。初対面の人たちと和気あいあいと仕事を進めるというだけではなく、思ったように作品が完成するところまで運んでいかなければならない。仕事が長くなると、彼らのなかには疑問も沸いてくる。私の立場は上司などという立場ではなく、また彼らも自分の仕事以外の仕事に携わっているわけだから、事をうまく運ぶためには何を訊かれてもいいように対応に心の準備をしておく。ときどき、自分のアイデアを押し通そうとする人も出てきたりもするが、そうしたアシスタントの突発的なアイデアに仕事が捻じ曲げられないようにするのも、私の対応如何にかかっていることはいうまでもない。
5日の仕事は、5000枚の円盤に穴を開け、ケーブルを1000本切り、円盤5枚つづりのユニットを合計1000個作るという作業だったが、各段階の作業がごく自然に分担されて流れ作業になり、中で1時間ほどの昼休みを入れたが、夕方4時きっかりにみごとに仕事を完了することができた。これだけのハイペースで仕事をしおおせるとは、さすがの私も想像できなかった。まずは幸先の好い出発だ。(S.H.)