ルーアン市企画 『ルーアン・アンプレッショネ』展。
開催日程: 2010年7月3日から8月29日まで。
市内のあちこちに作品が設置される。
2010年6月26日、平川滋子プロジェクト”Appel d’air(アペル・デール)”のオープニング。
2010年7月3日、ルーアン・アンプレッショネ展、総合オープニング。
ルーアン・アンプレッショネ、とはなんというタイトル。フランス人でさえ「変だね」という。この夏企画されているノルマンディー・アンプレッショニストという印象派にちなんだ町を抱合したどちらかというと古いイメージの印象派の展覧会とかかわりながら、一方で現代は現代のもっと異なった見方があるではないかと主張するルーアン独自の見地に根ざしたタイトルだという。ノルマンディー・アンプレッショニスト展と同時開催のルーアン・アンプレッショネは、当初からそうした思想の自立の中で動いている。
昨年秋口にコンタクトをしてきたコミッショナーのロールはこのとき、私を含め3人のアーティストを選んでグローバルなコンセプトを頭に描いていた。一人はアルヌ・クィーンズというベルギーのアーティストで、ルーアン市内の橋を閉鎖して大きな木のストラクチャーを作る。もともとは建築家でエンジニアリングを含めグループで制作するという。もう一人は、オリビエ・ダルネというアーティストで《ベトン・ミエル》という作品を作る。ベトンはコンクリート。ミエルとはフランス語で蜂蜜のことで、本物の蜂を街中に持ち込み、その環境の中で蜂が作る蜂蜜を試食できるという。蜂は8メーターほどの高さのサイロの頂上付近で仕事をし、蜂蜜はサイロの下方に下りてくるしかけだという。ルーアンはどんな味になるのか。フランスでは農薬による蜂の減少が問題化して久しい。そういうわけで、環境と蜂と蜂蜜とそれを食べる人間を直結したインスタレーションとなる。(オリビエ・ダルネの蜂のインスタレーションは、2010年4月発刊のジャルダン・エコロジック現代アート単行図版の表紙にとりあげられた。)そして私のプロジェクトは、《空気が危ない?》プロジェクトに話題が集中することになった。
市議会や市の文化局はすでにプロジェクトの了承済みだという。《空気が危ない?》プロジェクトが構想として成立してから6年近い月日が経った。ひとつのプロジェクトが知られるようになるにはずいぶん時間がかかるものだと思わずにはいられないが、その時間の中で真正面から理解してくれる人々が増えていることは実に嬉しく、そういった人々との出会いは作家として感動的でもある。
《空気が危ない?》プロジェクトは、誰一人歩いていない炎天下の町が砂漠のようだった2003年の猛暑(フランスで15000人が死亡)を経験した後、こうした異常が侵入する日常のなかの自分のアートの極限を再考するところから始まった。日常の中の異常は、1999年の暮れにも起きた。クリスマスの翌日、気象観測でさえ予見できなかった大嵐がフランス全土を通過したその日、木という木がなぎ倒されて山が丸坊主になり、百年樹が真っ二つに折れ、街中では駐車中の車が倒れた木の下敷きになって潰れている光景がいたるところで見られた。翌朝の激変した風景は、いかにもアポカリプスという情景で、アトリエの扉を開けたとき向かいの敷地がまる見えだったことに息を呑んだ。向かいにはコルベール男爵の旧敷地が広がり、多数の木が敷地を包み込むように茂ってほとんど敷地内が見えないのが常の状態だったからである。おそらくここも80%近い木が倒れたにちがいない。こんなに簡単に風景が破壊されるような気象環境の中にあって、生き抜いていくことができるアートがあるとしたら、それはいったいどういう形をとるのだろうか。そんな問いが湧き上がって常に私の意識を捕らえるようになった。
こうした異常な現実が私という媒体を通過したときにうまれるアートは、もとのファクトから距離をもつほど意味がある。あるいは、私の存在意味がある、と言い換えたほうがいいかもしれない。その距離の中へ私の思考や制作への努力をすべて埋め込むことを考えれば当然のことだろう。
《空気が危ない?》プロジェクトはそんな現実を濾過して、現実の悲惨を脱ぎ捨てた外観をもっている。そのエレメントの中の《光合成の木》は、植物が太陽エネルギーで光合成をする事実をベースに、太陽が出ているときの植物の働きを目に見えるようにしようという意図で構想した。太陽光が当たるとほとんど即座に紫色になるフォトクロミック製品を一日中PCに向かって探し続けた。当初は、外へ出ると色が着くサングラスを思い浮かべつつ、その方向からフランス国内のフォトクロミック・ピグメントを扱う企業を探していたが、見つけた企業は一軒のみ。しかも100グラム300ユーロという高価なもので、大きなプロジェクトに利用するようなものではない。しかも、訊けば台湾から輸入しているという話だったから、それならばと思い、リサーチの領域を広げることにし、ようやく3ヶ月をかけてフォトクロミック円盤が存在することを発見した。人工物でしかもアクテイブな薬品には命があり、限界が必ずある。業者からサンプルを送らせ、一ヶ月外に放置して毎日の反応を観察しながら機能の度合いを確かめた。この実験で納得がいった時点でようやく、《光合成の木》は実現可能であると確信し、《空気が危ない?》プロジェクトをプロジェクトとして提出する形にすることができた、というのがいきさつである。
2004年1月にこうしてプロジェクトにしたものの、《光合成の木》はなかなか実現しなかった。いろいろな障害が阻んだ。ひとつは、フランスの支払い方法である。フランスは先払いという思想を持たない(インターネット販売で現今このシステムは壊れつつあるが)。商品を先に納品させて支払いは45日後というあり方が常である。したがって、外国から購買することがほとんど不可能に近かった。もうひとつは、プラスチックである。環境アートなのになぜプラスチックを使うか、という非難の声があがることがあった。プラスチックがまだ環境の敵であり、リサイクルも稀であったから、確かにエコロジストには理解しがたかっただろう。私自身、環境アーティストが即エコロジーのアクティビストにむすびつくとは考えない。むしろ、私は環境を題材にして作品を作っているだけである。プラスチックでしか実現できないこの作品は、すでに述べたように、プロジェクトを立てた時点で実現可能であることを確信してやまなかったから、当時エコロジストと対立しても譲るなどゆめゆめ思わなかった。数年後、こうしたプラスチックへの反感は激減した。リサイクルが活発化し、プラスチックへの敵対視が嘘のように雲散した。私が折れるより先に社会が進展してくれたのだ。
2006年4月、アルジャントゥイユから文化局のディレクターと市の議員が二人で私のアトリエまでやってきた。若い市のディレクターが、「アルジャントゥイユは印象派の町というイメージが付きまとっているので、現代アートの展覧会を大々的に催して印象派の古いイメージを払拭したい。ついては個展を開きましょう」といってくれた。予算の関係で、展覧会は年内に行いたいという。こうしてようやく、長いあいだ暖めていた《光合成の木》が実現へ向かい、その年の秋初めてアルジャントゥイユに生れ落ちた。それにしても立ち上がりからルーアンの印象派の話とどうしてこうも似通っていることか。
印象派のトラウマを抱える都市がセーヌ川の周辺に散らばっている。好きな人間がたくさんいるから印象派の遺産で文化事業が成り立つという単純なことなのではない。フランス人にとっては印象派はアバンギャルドの始まりであり、絵画の中からの階級制度の崩壊であって、その意味で文化の変革のみならず社会的変革の群衆の先頭を切ったものたちとして政治の記憶の中にも残っている。今回フランス人は、印象派の中にそうした政治的アバンギャルディズムを見ているように思う。したがって、印象派という名前を持ち出すものの、現実ルーアンは、印象派の時代の印象派的絵画ではなく、現代声高に言わなければならない思想や問題を提示してみせることを、あえて印象派という言葉で表現しているといってよいようだ。ずいぶん古いはずの印象派は、そんな意味でいまだに世界を変えつつあるらしい。
ルーアン市の企画は、テンポラリーな展覧会というよりは、1%のようなちょっとしたパブリック・アートの規模の大きさである。
リヴ・ゴーシュの8ヘクタールの植物公園を任されて、昨年秋の打ち合わせを入れて下見を4回、および管理局とのミーティング2回(二回目は4月21日)を済ませた。公園入り口から中ほどの池に至る全長約200mの敷地をインスタレーションにあてる。植物公園は、ルーアン市の緑地管理および庭園技師の管轄下にあり、彼らの全面協力で仕事を進める。
私のプロジェクトは今回、空気と植物との関係を謳って《Appel d’air》と名づけた。
大まかなスケジュール:
2010年2月24日、ルーアン市長室で市長と地域の新聞記者の前にして記者会見が組まれた。参加アーティストに個別の記者会見日を設けており、この日は私単独のプロジェクト紹介日であった。市長はヴァレリー・フルネロン氏(48歳女性)で、記者会見の冒頭で15分近く、一人で私のプロジェクトの大本になる《空気が危ない?》プロジェクトの重要性を記者団に説明された。市長の理解度の深さに感銘する。
私のプロジェクトは《Appel d’air》というタイトルで、《空気が危ない?》プロジェクトの光合成の木と酸素分子をルーアンのリヴ・ゴーシュにある8ヘクタールの植物園を利用して展開する。
同日午後、ルーアン市の緑地全体を管理するの3人の責任者とミーティング。
3月30日、パリの国会議事堂(アッサンブレ・ナショナル)で大々的にプレス・コンフェランスが開催された。私を含む参加アーティスト6グループが、集まった45人の記者の前でプロジェクションを交えながらプロジェクトを順次披露。司会は、ルーアン市長でもあり国会議員でもあるフルネロン氏とアート・コミッショナーのドラモット・ルグラン氏。
4月中旬、昨年暮れから毎日のようにメールをやり取りしていたが、ようやく光合成の木の材料を作る業者との交渉に見通しがついた。新しい業者であったため、フォトクロミック・ピグメントの量とプラスチックの質の決定には、業者の材料にも制限があり、だいぶ頭を悩ませた。天候の変化とともに、送られてきたテスターを毎日観察して見極めるしか方法はない。また一方で、フランスへ輸入するには厳しいECの規約をクリヤしなければならず、経済省に書類を求めるなどのストレスの日々であった。
4月21日、ルーアンの植物園の管理責任者および技術団、ルーアンの文化振興局(Direction du développement culturel)の責任者を集めて《Appel d’air》プロジェクトの各エレメントの設置方法について詳細な説明会を行い、方法や日程等、お互いの了解を得た。設置はクレーン3台を使って植物園の入り口から延長約200メートルの敷地に行うことになる。
4月21日、光合成の木の材料が工場を出、出航。
5月4日、ラジオ、フランス・キュルチュールで単独インタビュー。放送は5月12日日20時、番組「La Vignette」。
5月27日、ディスク、ル・アーブルに到着。その他の材料ほぼ発注完了。
6月4日、ラジオ、フランス・キュルチュールで私を含めた参加アーティスト3グループ、インタビュー。
6月4日、現地でインスタレーション準備。ルーアン植物公園で造園局局員たち15人のアシスタンス。写真は4日の様子。8時半に仕事を開始して16時に5000枚のディスクの準備を完了。驚くべきハイペース。
6月14日から5000枚のディスクを木に取り付け作業を開始。クレーン三台を利用し、植物公園の25メートルの木に取り付ける。
スタッフは朝5時半から仕事に就き、夕方5時まで大車輪でディスクの取り付けを行った。途中、植物公園のクレーンが故障するなどのアクシデントがありながらも、予定よりかなり早めに取り付け終了。6月18日金曜15時解散。
6月24日、25日、《酸素分子》の設置。直径3,6m高さ2,4mの透明球体4個、小さめの球体3個の合計7個を、全長160mの芝生ゾーンに酸素分子型に生やした草の上に配置。酸素分子型の芝は数日前から肥料と水を撒いて成長を促進させたもので、ほかの部分の芝とすでに成長度も色も変化してきている。展覧会期間中、公園の管理者たちの世話でにさらに成長することになっている。
酸素分子のニュートロンの役割をしている大きな透明球体は、強靭なポリウレタン材で、大人がこの上で飛び跳ねても破裂はしないが、予定より早めに設置の完了した24日の夜、大勢の子供たちに襲われた。
6月26日、11時から植物公園で《Appel d’air》のオープニング。絶好の好天に恵まれて大勢の観客が訪れ、ヴァレリー・フルネロン市長演説と作家(平川滋子)からの作品紹介。
7月3日(土曜日)、ルーアン・アンプレッショネ展総合開催日。あいにくの曇天ながら、大勢の訪問客が押し寄せた。この日は橋の上で木のストラクチャーを作ったアルヌ・クィーンズ、写真のフランソワ・カヴリエ、グループで社会問題を扱うエシェル・アンコニュのオープニングが主軸となって全体のプログラムが構成された。
7月5日、6日、取材(ラジオ・フランス、フランステレビ)。
7月3日総合開催予定のルーアン・アンプレッショネ展は、ノルマンディー・アンプレッショニスト展と共同のプレス・コミュニケーションで、夏をとおして、ゴーモン・パテ映画館全館で、ノルマンディー・アンプレッショニスト展の総合宣伝ビデオが上映されるほか、シャンゼリゼやパリ・プラージュで写真展が開催されルーアン・アンプレッショネがパリでは写真で見られる予定だ。
その他の日程: ルーアン市芸術歴史局提供の平川滋子のインスタレーションガイド付き見学日: 7月8,17,22,31日、8月5,14,19,28日、18時から。植物公園Avenue des Martyrs de la Résistance側の入り口集合。
・ルーアン・アンプレッショネ展、カタログ:
《ROUEN IMPRESSIONNEE – Quand l’art contemporain s’empare du paysage.》、Edition des Falaises(エディション・デ・ファレーズ出版). ISBN 978-2-84811-119-3、価格:19ユーロ。購入:パリ市立近代美術館売店、ポンピドー・センター・フラマリオン、フナック等。