筆記S.H. 

17年ぶりの社会党政権樹立が成った。今回の大統領選ほどはらはらした選挙は無いかもしれない。すでに夜8時時点で開票の予想結果がオーランド51.8%対サルコジ48.2%で、オーランドが当確と公表されていたにもかかわらず、一時期変化が出はじめてオーランドがじりじり下がって51.32%になったときは、あるべくもないが寝てしまったあとに得票がひっくり返っていたらどうしようと思ったほどだった。

2週間前の一期選でサルコジ候補は自分が劣勢と見るや、18%という過去最高の支持率を記録した極右政党のフロンナショナル票を自分へ引き寄せようとより躍起になり、フロンナショナルの本拠地とも言うべき町、トゥーロンへ飛んで行き、フロンナショナルの課題ともいうべき移民の締め出し政策を話題の中心に置いて遊説を果たした。サルコジの党であるUMPは、右派勢力ではあるが、昔からファッショ的な傾向の強い極右政党フロンナショナルとは本来一線を画し、極右政党のような国粋主義には陥らないとしてはっきりと退けていたにもかかわらず、サルコジ候補は自分の窮地の土壇場になって手の裏を返すようにフロンナショナルの票獲得に走り回るところをみせつけてしまった。

サルコジ候補のこうした行動に嫌気が差したのはフランソワ・バイルー(人によってはベイルーと発音する)である。バイルー元候補は一期選で10%弱の支持票を獲得していた。もともと右派政治の一派であるMoDemは、大統領決選投票ではUMPのサルコジに投票すべき立場であったが、フロンナショナルと足並みをそろえるサルコジ候補の態度に震撼として、「自分の支持者たちには指示を与えないが、私自身はオーランド候補に投票する」と決選投票の2日前に記者会見で発表して驚きと大きな波紋を投げかけた。一方サルコジ候補の歩み寄りを、当のフロンナショナルのマリーヌ・ルペンは良しとせず、「サルコジ候補は、もうとっくのとうに負けてしまってますよ。私の思想や政策の横取りばかりをして点数稼ぎをしようとしても無駄です。私は白票で決選投票に臨みます」とその表情に怒りを浮かべて公然とサルコジ候補を批判した。

バイルー一派の支持層は大半がサルコジに投票したと見られるが、ルペン派は、ほとんどがマリーヌ・ルペンに右へ倣えで、白票を投じている。また、これらの党首たちおよび一期選に出馬した他の候補たち全員が、こぞってサルコジへの投票を拒否するという前代未聞の状況が生まれることになった。

(投票結果: フランスはほとんど真っ二つに分かれた。北から東南にかけて右派勢力がおおきく、中央部から大西洋側にかけて左派勢力が大きい。DomTomと呼ばれる旧植民地地域の友好的住民票がオーランドの票を伸ばした。パリは縦割りに分断して、東側はオーランド派、西側はサルコジ派、と奇麗に分れ、オーランドが55%強、サルコジ派45%弱で10%の大差がでている。)

新大統領になるフランソワ・オーランドは、ミッテラン大統領の顧問、ジャック・アタリに見出された。時に27歳。ENAでの秀才振りを認められた。同じクラスに2007年大統領候補になったセゴレヌ・ロワイヤルがおり、結婚の形態をとらず子供を4人もうける。セゴレヌ・ロワイヤルの大統領選敗退と同時に離別した。閣僚経歴はセゴレヌ・ロワイヤルのほうが早く、また機会も多かった一方で、フランソワ・オーランドは社会党書記長など党内での中心的役割に甘んじてきた、いわば縁の下の力持ち的立場の人だったようである。

1995年ミッテラン以来の社会党新政権は、もうミッテラン時代の社会党思想ではありえない。フランスの社会はこの17年で大きく資本主義に傾き、世代交代をし、EUの緊縮政策、世界的経済恐慌、最悪の失業問題や巨大な国の負債を抱え込んで、新しい社会主義的な思想の樹立よりさきに、現実を良い方向へ動かす政治技術を要求されているようにおもう。

オーランドは公約の最後に「物事を正常にもっていくノーマルな大統領になる」と言った。この正常(normal)があっというまにあらゆるところに転用されて流行語にされてしまったことが、世間がノーマルな生活に向けてうまく梶を取れる大統領を欲しているという何よりの証拠かもしれない。

<すんでのところで救われた文化>

大統領決選投票の発表の明け方、生中継のTVでジャーナリストが意見を求められてこう言った。「これで、右がだめなら左といった先の見通しがまったくない政策に振り回されてひどい状態になった現状からようやく国民が脱出する時期が来ました。また、この過去5年、特に[文化の不在]はほんとにひどかったですが、文化の不在からも、ようやく脱出することができると思います」。確かに二人の候補は文化についてほとんど公約を口にすることは無かったが、サルコジ政権が2007年、文化省を格下げしたい意向があったのに対して世間の文化人が大騒ぎをした時点から、2010年はとうとう文化省の縮小が実行されて10庁が4庁になり、ミッテラン政権が培ってきた文化のインフラストラクチャーである地方文化振興局(通称DRAC)を近々つぶそうとしていた、実にほんの矢先の大統領選挙であった。

社会党にはまだ30年前にフランスの文化省を復活させ*、現代文化政策の礎を築いた巨象と呼ばれる党員が沢山いる。私としてもオーランド政権は、瀕死の現代文化へ再び息を吹き込むであろうと期待をするところだ。

*ミッテラン以前のジスカール・デスタン政権は、文化省を格下げして省を取り上げ局レベルとしていたのを、ミッテラン政権が1981年「省」へ昇格させた。

(上記ピンクはオーランド、青はサルコジを支持した県)

<サルコジ政策の修正から始まるオーランド政治(フランス2TVからの抜粋)>

国民の購買率を上昇させることが当面の目的になるが、サルコジ政権で手を入れられた政策を事細かに修正するところからオーランド政治が始まる予定だ。

年金制度で62歳に年齢を引き上げるとしたサルコジ政策を、若年から仕事に就いて年金を納める年数が規定に達している人たちには62歳を適用せず60歳のままとする。サルコジ政権が立て続けに行ってきた学校の教員削減を取りやめ、2012-13年度の新学期から必要に応じて教員を増やす。残業への課税政策の見直しなど。
大統領引継ぎのあとは、アンゲラ・メルケルの要請に応じてドイツへ出向し、EUの緊縮経済について協議するなど、予定はすでにいっぱいだ。(フランス2TV)

 

さて、大統領選挙を敗退したニコラ・サルコジの今後はどうなるのか。はたして選挙前に繰り返していたように政治から退くのか、サルコジの進退は本人の意思のみならず、6月の全国選挙の流れにも左右されるようである。

(S.H.)