1965年、女性の経済自立を許す法律が成立

女性解放の端緒をきったといわれる経済的解放は、1965年7月13日に起きた。

自由を謳歌する今となってはまったく想像もつかないが、51年前のフランスの既婚の女性には、まだナポレオン法典が定義する民法が部分的に生きていて、自分の配偶者の許可なしに働いたり銀行の口座からお金を引き出すことはできなかったのである。

ナポレオン一世が1804年に成立させた「ナポレオン法典」は、男性支配を強調し、既婚女性にあらゆる法的制約を課していた。

〈既婚女性の権利を奪っていたナポレオン法典とは〉

高校や大学教育を受けてはならない、契約を交わしたり財産を管理してはならない、参政の権利は無い、夫の許可なしに働いてはいけない、働いた賃金を自分で受け取ってはならない、人間関係においては夫がそのイニシアチブを取ること、夫の許可なしに海外へ旅行してはならない、婚外交渉は重い罰を受ける、私生児には何の権利も与えない。

  • Interdiction d’accès aux lycées et aux Universités
  • Interdiction de signer un contrat, de gérer ses biens
  • Exclusion totale des droits politiques
  • Interdiction de travailler sans l’autorisation du mari
  • Interdiction de toucher elle-même son salaire
  • Contrôle du mari sur la correspondance et les relations
  • Interdiction de voyager à l’étranger sans autorisation
  • Répression très dure de l’adultère pour les femmes
  • Les filles-mères et les enfants naturels n’ont aucun droit

 

1968年、配偶者の許可無しで持てるようになった自分の銀行口座からお金を引き出す女性、法律成立から3年目 Le Parisien Paris, 1968. Une femme retire de l’argent au premier distributeur installé dans la capitale, rue Auber, trois ans à peine après que la loisur la réforme des régimes matrimoniaux a autorisé les épouses à ouvrir un compte bancaire et à en disposer librement.(Keystone-France.)

 

独身であればある程度の自由があるのに、結婚をすると、小切手を切るにも、口座を作るのも、財産を管理するときは夫の許可が必要だった。それだけではない。女性はそうした管理ができない生き物だと考えられていた。

グランドバカンスに入ったばかりで半分空になったフランスの1965年7月13日、160年も前の法律による旧習に縛られていた女性の運命を変えるべく、既婚女性が独自に仕事を選び、契約をし、給料を受け取る独立した銀行口座を持って自分の財産を自由に管理できる法律が、ほとんど秘密裏にといって良いほど音を立てずに国民議会議員全員一致で通過した。

女性解放は、「お金」によってもたらされた。当時フェミニストたちはこの新立法をたいした改革だとは思わなかったようだが、時にあまり信用のならない夫に頭を下げたり言いなりになったりせずとも、既婚女性が自由の利くお金を保持して自分の事をできるようになったのは現実に則して良いことといわねばならない。この法律は女性解放のプレリュードであり、また平等を勝ち取るための基本的な一歩となりえた。

1968年5月革命で、女性にも多少の自由が与えられはしたが、家庭の主人は男性と決まっていた。「何といおうと、何を欲しようと、ともかく夫婦のあいだでは自然と仕事の分担が出来上がる」とは当時のジャン・フォワイエの言葉だ。

「私法の改正にはじっくり時間がかかります」と、フェミニストの社会学者フランソワーズ・ガスパールはいう。 「母親の名前よリ父親の名前を優先しなくてすむようになったのですら、2013年ですからね!」

今日まだ、女性が夫の許可なしに働くことができない国が15カ国ほどあることを特筆しておかなければならない。(Le Parisien)

女性の給与は今でも男性より27%低い

法律の成立時点で、すでにフランス人女性の40%が職業に就いていた。

1968年5月革命の3年前のことである。二年後には、国民議会が避妊薬を許可。7年後、男性と女性の間の賃金格差をなくす法律が成立する。ヴェイユ法が妊娠中絶を許可したが、双方の合意による離婚を合法化するのには、1975年を待たなければならない。

経済的独立は必ずしも男女平等を意味しない。協会 Osez le Féminismeは、この月曜のコミュニケで、「今日フランスではいまだに女性の給与は男性より27%低い」と発表した。「夫婦間では、いまだに女性が仕事を犠牲にして子供を育て家事をする時間を多く割いている」。

http://www.bfmtv.com/societe/il-y-a-50-ans-que-les-femmes-peuvent-travailler-sans-l-autorisation-de-leur-mari-901405.html

http://www.leparisien.fr/informations/13-juillet-1965-jour-beni-pour-les-femmes-13-07-2015-4939587.php

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My opinion:フランスの男性優位社会を法律化したナポレオン法典の内容に今回はじめて触れ、暗澹としてしまった。フランスのマッチスムとマッチスムにあおられるミソジニーの大本にあった社会の法律(市民法)がこれである。

・ナポレオン法典(サイトhttp://8mars.info/le-code-napoleon)には次のように書かれている。
「Napoléon définit sans ambiguïté la place de la citoyenne dans la société à l’article 1124 de ce monument de misogynie qu’est le code civil : Les personnes privées de droits juridiques sont les mineurs, les femmes mariées, les criminels et les débiles mentaux.-ナポレオンは女性蔑視(ミゾジニー)の高峰となる1124条に社会における市民の位置を規定した:<司法的権利を持たない者は、未成年者、既婚女性、犯罪者、そして精神異常者である>」。

・「En 1910 : le « devoir conjugal » est une obligation (il n’existe pas de viol entre époux) : La femme et ses entrailles sont la propriété de l’homme, il en fait donc ce que bon lui semble (Code Napoléon)。En 1916 : en prime pour toutes et tous, l’interdiction de divorcer ! -1910年、結婚の義務は服従すべきものである(夫婦間に強姦は存在しない):<女性と子供は男性の所有物である。したがって、男性は自分が良しと思うことをすることができる(ナポレオン法典)。また、1916年:皆さんにおまけとして付け加えれば、離婚は禁止する」。

・社会学者でフェミニストのフランソワーズ・ガスパールFrançoise Gaspardは次のように述べている。 Les enjeux internationaux de la parité(パリテ男女同等への賭け), 2000年
« Le code civil français de 1804, qui a inspiré les droits civils dans de nombreuses démocraties, rédigé sans que les femmes aient leur mot à dire, a ensuite fait de la femme mariée une “mineure civile” — de la célibataire une étrangeté. Cette inégalité des personnes en vertu du sexe déclaré à l’état civil, a été à l’origine de mouvements, qui à partir de la fin du XIXe siècle, ont été désignés sous le terme de féministes. Les luttes issues de ces mouvements ont, progressivement, fait reculer la domination masculine dans le droit. »-1804年のフランスの民法は、市民の民主主義的権利を喚起しておきながら、女性については何の言及も無く、また、既婚女性は<未成年者〉扱いとしている(奇妙にも、独身者はそうではないにもかかわらず)。民法に書かれていた性差からくる人間の不平等こそ、19世紀の終盤からフェミニストの定義の元に、この運動の大本となったものである。この運動が行ってきた闘争は、徐々に、社会的権利における男性支配を後退させてきた。

法律には新たな法律を。2000年に社会党政府が通した現行法パリテ法への道、そして現政府の女性の権利省設立へと、フランスの政治は女性の権利確立に表立った力を発揮している。権利の国といわれるフランス。女性の権利は、つまるところ政治の上で男性支配の社会へ政策のメスを入れることで進んでいることに思い当たる。(S.H.)

「パリテ法」とは。(ブログ内TAG検索)リヨネル・ジョスパン内閣が2000年6月6日、通過させた政治の世界に男女同数のクオータ制を導入する法律がパリテ法。選挙に各党は男女同数の立候補者を出さなければならないとし、現今では、内閣および閣外大臣の閣僚数を男女同数で選出している。

女性解放のキー概念 http://www.vie-publique.fr/decouverte-institutions/citoyen/enjeux/citoyennete-democratie/parite-egalite-hommes-femmes-realite.html