フランスから―環境とアートのブログ

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論争、ジェフ・クーンズの贈り物

パリに贈呈されることになったジェフ・クーンズの彫刻「チューリップのブーケ」をめぐり、仏文化関係者の拒否運動が高まる 2016年11月21日、アメリカ大使館とパリ市との間で、パレ・ド・トーキョー前にジェフ・クーンズの彫刻「チューリップのブーケ」を設置することが決まり、ドイツの工場で制作中の彫刻の設置の日が近づいている。同時に、アーティストやアート・ディレクター、建築家や政策責任者などから設置の撤回を求めて、反対の声が上がっている。

れきしの点と線 - コミッション

年譜: 1959年-1969年 シャルル・ド・ゴール大統領 初の文化省設立、アンドレ・マルロー文相が10年一貫して在任 1969年-1974年 ジョルジュ・ポンピドー大統領 文化省継続 1974年-1981年 ジスカール・デスタン大統領 文化は閣外局に格下げ 1981年-1995年 フランソワ・ミッテラン大統領 文化省の再建、ジャック・ラング文相 1983年文化予算倍増 1995年-2007年 ジャック・シラク大統領 2007年-     ニコラ・サルコジ大統領 予算獲得に四苦八苦したアンドレ・マルローのあと5年経つかたたないうちに、文化省は「省」格を取り上げられてしまった。1977年1月に国立近代美術館を入れた新しい文化センター、ポンピドー国立文化芸術センターが開館したのを除いては、ジスカール・デスタン時代の閣外局が7年も続いて内閣のなかの文化はほとんどといっていいほど力を発揮できず、また進展もしなかったらしい。7年という長い空白から、1981年のミッテランの《レ・グラン・トラボー》宣言への大転換は、並々ならぬ試練を乗り越えなければならなかった。 ジャック・ラングの大臣室長だったジャック・サロワがこう洩らしている。「文化省の重要なポストについていながらなにしろ経験が浅すぎ、経済省の役人と対等にやりあってバジェットを動かすのもなかなか難儀な時代だった。・・・。また省の人員も、バジェットの取り合いに明け暮れるだけの人間が入り混じり、真の文化の大望のために省の中においても戦わなければならなかった」。 確かに、1980年代初頭にフランスに来た私などは、どこに行っても何かが壊れるか盗まれるようなフランス社会の荒れように心底驚いたが、あちこちで大工事がはじまるのを目のあたりにし、悲惨な社会をかかえたフランスのいったいどこから資金が沸いて出るのか、荒廃した日常と文化にかける莫大な大工事費との大きなギャップが不思議で仕方がなかった。文化省はこのとき、 再建といってもほとんど一からの出発である。文化の多様な姿を実現するにあたって、過去の正論をあちこちから拝借し今流に味つけするなどの苦心をあちこちにちりばめたようである。 ド・ゴールとマルローの60年代、衛星都市を中心に新しい都市を建設して新しい産業を発展させるプロジェクト、「新都市 Les Villes Nouvelles」計画が誕生した。マルローは、国の役割のひとつはコミッション(作品発注)だといったが、三種の神器とも言うべきコミッションについてミッテラン時代は、新都市計画を改めて推進する際、各都市の環境に適合した現代アートを大々的に組み込む計画を立てた。国土開発省の新都市建設プロジェクトを利用してコミッションを生み出し、モニュメントを新都市のあちこちに生みつけたわけだ。パリの西に建設された経済都市ラ・デファンス建設の際も数多くの現代アート作品が組み込まれているのは周知の事実である。 1960年代から開発の新都市は全国で9箇所、パリ周辺では5箇所: セルジー・ポントワーズ エヴリィ セナール サン・カンタン・アン・イヴリン マルヌ・ラ・ヴァレ