Je suis Charlie
パリのシャルリ・エブド(Charlie Hebdo)雑誌社で銃撃殺人テロが発生した。「驚くべきことに」(フランス2TVのニュース司会者ダヴィッド・プジャダスの表現から)数時間後には「Je suis Charlie 私はシャルリ」という紙を掲げた何千何万という人々が各地で広場に集い、社会風刺を専門にしていた風刺画家たちの死を悼んで表現の自由、民主主義の根底にあるべき自由の尊重を訴えはじめ、表現のシンボルであるペンや鉛筆をあちこちで掲げる人の姿があった。パリはレピュブリック広場に3万5千人。リヨンでは市庁舎前広場に1万5千、ボルドーで1万3千人、モンプリエは1500人。当日のうちにヨーロッパの各首脳が集合してフランスへの連帯を表明し、アメリカからはケリー国務長官が流暢なフランス語で「すべてのアメリカ国民はフランスに寄り添っています。…表現の自由と報道の自由は民主主義の根底にあるものです。今回の亡くなったジャーナリストのように攻撃がされることがあっても失われてはならない」と述べるなど、世界がフランスのテロ事件に寄せる想いはことのほか熱い。フランスやイギリスは首相や大統領官邸に半旗を掲げ、3日間の全国的な服喪を決めた。
7日の夜、パリのあらゆる宗教の首長がエリゼ宮に集まり、流血によって人々の心が分裂してはならないと、共同声明を発表した(写真下)。
翌日8日、朝8時半。パリの南のモンルージュで事故車を処理中の市警察の女性警官が、武装した男に背中を数発撃たれて死亡する事件が発生した。男は車を盗んで逃走。シャルリ・エブド事件との関連は不明のまま。同日正午、パリのどのカルチエでも1分間の黙祷が行われた。20時にはパリ市長アンヌ・イダルゴの意志でエッフェル塔が弔意の消灯。ニューヨークの街中にもJe suis Charlie が現れ、アメリカのオバマ大統領はワシントンのフランス大使館に出向き、ノートに10行ほど所信を書いて署名した。「Vive la France」と書かれてあったとitele(フランス報道チャンネル)が報道した。
一方、フランス在住の私を含めた日本人はこの2日間、日本大使館から5通のメールを受け取るという異常事態でもある。パリを含むイル・ド・フランスから、犯人が逃走していると考えられている北部のピカルディーまで、警戒レベルが最高の「攻撃への警戒(Alerte Attentat)」へ引き上げられ、あらゆる重要地点や人の集まる場所の警備強化のため陸軍から850名の兵隊が投入された。3人から5人のグループを組んだ兵隊は自動小銃を抱えてデパート、メトロ、観光名所、美術館、学校のパトロール。路上駐車なども大幅に制限される。(つづく S.H.)
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・1月8日、翌日のフランスの全紙が表現と報道の自由を叫ぶ(ル・モンド電子版)
・MAIL ON LINE イギリス版 事件の真相 (英語)
・MAIL ON LINE 事件の写真 (英語)
《連帯》
NYにいるアンヌ・サンクレアがびっくりして、この写真を投稿したというはなしも。