1952年、『沈黙の声』に出版されたアンドレ・マルロー/ André Marlauxのインタビューから。インタビュアー 、フランク・エルガー/ Frank Elgar。

E: ミュージアム(美術館・博物館)が発展することは望ましいですか?かえって、危険なのではないですか?
ミュージアムは、芸術の退廃の兆候で、私たちの創造する力が衰退していることをさししめしているのではないでしょうか?

文明の偉大な時代には、 新しい形を創り出すことのほうが先で、過去のものの保存にはあまり配慮をしません。文化を一般にひろめることは、芸術を喜びとして感じたリ、傑作を理解したりする人間の才能の増大に結びつくことにはまったくならない、とはお思いになりませんか?

M: 「偉大な時代」とは、何をさしておっしゃっているのでしょう?隆盛の時代のことでしょうね。卓越した時代が歴史を構成するとすれば、当然ミュージアムは可避できません。ミュージアムは墓場などではなく、激しい問いかけです。・・・。私たちの芸術はミュージアムから生まれ、ある意味でその論理によって発展しています。ミュージアムのおかげで過去の形を知ることができるのであって、今の私たちが新しい創造をすることとはまったく抵触するものではありません。

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E: さて、民主議会制度において、国の芸術的な役割とはいったいどうあらなければならないかという問題にアプローチしましょう。

こうした政体の中で、正当で理性的かつ洞察力を備えた国民の芸術生活のための執行部をつくることが可能だとお思いになりますか?
もし可能だとお考えでしたら、いったいどのような条件のなかで、 そうした政策が行われなければならないのでしょうか?

M: いやはや!国は芸術に、いっさい方向付けをしたりしません!
芸術に方向付けをする、とすれば、それは芸術ではなくて芸術に名を借りたほかのものになってしまいます。たとえばロシアに見たように、芸術はプロパガンダや国民を扇動するのに利用されました。・・・・。
芸術を芸術として指導する、ということをいいたいならば、それはまったく意味を成しません。現代芸術は芸術の執行部など必要としていませんから。指導というのは美術学校の段階のものでしかありません。

E: それでも、国が必要とされる場合がありますよね?もし必要とされるなら、どういった場合ですか?

M: 国に負わされた使命は、美術館と展覧会、そしてコミッションです。・・・・。

行政的な問題を解く機構が薄っぺらすぎ、また支援体制も弱い。国は芸術を行っている人たちにみあった力をつけたものでなければなりません。
要約するならば、国は芸術に方向付けをしたり芸術を指導したりするためにあるのではなく、芸術に仕えるために存在します。

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E: この計画の主軸となる思想を概観すると、国に対するあなたの不信感は、あなたの人間への信頼感と同じくらい大きいように見受けられます。

M: 国は、現実に芸術に触れることのできるフランス人にむけて、できるだけ多くの人が芸術に触れられるよう努力をしなければなりません。
私たちは注文を受けて仕事をするようなクリエーターでもアマチュアでもありませんが、芸術を真の表現のなかで観ることができなければ、それ以下の人間になってしまいます。民主主義とは、ここでは、より大多数の人間がより広範囲の芸術作品を見ることができる政体のことなのです。

このインタビューが国と芸術の問題をさいしょに明解にしたもので、将来の政策の下書きとなった。