“L’Art à tout prix!(どんな代価を払っても、アート!)”
フランスは、公が「文化」を語ることが少し前まで一つの日常だったのだが、ここ数年は政治と経済の話ばかりが先行して、文化が語られる機会がまったく僅少になってしまっている。むかしは、国が保護をすることで、荒々しい経済の波から少しでも切り離し、創造されるものが政治的な道具とならないように、文化の論理を真摯に解きほぐす態度が公の側に常に存在していた。国の元首であるミッテランやシラクが、政策の左右にかかわらず、政治のディスクールに必ず文化を基盤におき、「フランス文化の特殊性」「文化の多様性」といったフランスの文化的アイデンティティーを明確にする常套句をあみだし、われわれはそれを毎日のように彼らの口から繰り返して聞いた。フランスの空気は文化ということばで充満されていたと言っても過言ではないと思う。
2007年以来そんなことはついぞなくなり、近年は文化と文明がごちゃ混ぜ。…レジャーと文化が同じレベルで語られるようになり、昨年暮れに巨大な遊園地がグラン・パレの中に出現したときもテレビ紹介で「一大文化(?)イベント」などというとんでもない形容詞がついて驚いたりするようになった。グラン・パレが文化イベントの場として有名なのは知れた話であるが、「遊園地」が文化イベント呼ばわりにされる意味合いはまったくないのだから。
そうした混迷と現代文化を話題にすることが希少になった今日この頃、先日はひさびさにフランス2テレビが、”L’Art à tout prix!(どんな代価を払っても、アート!)”という二時間番組で現代アートの特集を組んだが、そのとたんにアート関係者たちが躍り上がり、Facebookを経由して再放送日を知らせあったり、ビデオオンデマンドをオファーしているサイトを壁に貼り付けたりして沸き立つという出来事があった。L’Art à tout prix!(どんな代価を払っても、アート!)は、パリで毎年恒例のアート・フェア(現代アートの国際マーケット)FIACに画廊から出品する若い3、4人のアーティストを追って撮影された番組で、はっきりと経済の中のフランス現代アートがクローズアップされているのではあるが、番組よりも何よりも、このときの関係者の沸き立ちぶりは、数年前のフランスと今のフランスの大きな落差がわれわれの気分の中に生み出した現代文化への一つの「渇き」を浮き彫りにするものとして、ひどく面白い。
また番組の舞台がFIACであることで、国が率先して「文化」を言及しなければ、現代文化は経済の中にもまれて行き、結局はマーケットの中で語られるだけになることの証でもあるようである。「フランスの文化の特殊性」はいずこへ。(S.H.)