21世紀の青天の霹靂はまだある。TVやラジオから英語が頻繁に聞こえ始めてきたことだ。

フランスのプロテクショニズムは、フランス全体の雇用のみならず、一般が接する大衆文化面においても顕著だった。たとえばフランスのテレビはアメリカや外国の番組を輸入して放送しているが、放送に際しては主題曲やあるいは主人公の名前までもフランス語に直して、フランスの番組のように仕立て上げるのが普通だった。日本で《奥様は魔女》と邦題したエリザベス・モンゴメリー主演の古いホーム・ドラマがあるが、夫役の「ダーリン」は「ジャン=ピエール」とフランス流に改名されている。サマンサもフランス発音のサマンタになり、タバサもタバタとなる。ラジオで聞くマイケル・ジャクソンは「ミカエル・ジャクソン」とディスク・ジョッキーが紹介した。こんなふうに、フランスのTVラジオといった一般のメディアがこぞってフランス語圏以外の固有名詞をのこらずフランス語にして発音していれば、一体どういうことになるか想像がつくだろうか。…
そればかりではない。おそらくTVラジオ等のオーディオヴィジュエル機関に対し、政府は大きな制約を課していただろう。 コマーシャルは、バックグラウンド・ミュージックも含めすみからすみまでフランス製でなくてはならなかったはずだ。ラジオ番組に際しては、今日も、放送する音楽の40%はフランス製でなければならないと決められている。これに基づいて、ラジオ・ノスタルジーやスカイ・ロックといったチャンネルはいまだにフランスの曲と外国の曲を交互にかけている。一曲アメリカ(外国)の曲を流したあとは、フランスの曲を一曲流すということの繰り返しを、私がこの国に来て気がついたときから繰り返しているのである。こうした規則的な繰り返しを数十年にわたって聞くことは、いったい人間にどういった影響を及ぼすだろうか。1日に流す音楽のうちの50%から40%をフランスの音楽にしなくてはならないという毎日の義務によって露呈してしまうのは、フランスのポピュラー音楽の絶対量が少なすぎて、あっというまに間に時間を埋められなくなることだ。いきおい、ほとんど毎日どこかのチャンネルで同じ曲がかかってしまう。70年代80年代ポップを持ち出して埋めても間に合わない。けっきょく聴衆は、同じ曲のローテーションのなかに押し込められてしまう。今何がいったい新しい風潮なんだか、それも薄められてわからなくなってしまう。少なくとも私はそんな閉塞感に陥り、一時期ラジオを聴かなくなってしまった。

フランスがふるいにかける外国のニュースはすべてフランス流に手直しされて一般に流されてきた。それに拍車をかけるように、1993年に文化大臣になった保守のジャック・トゥーボンは着任早々、フランス語を守るためにフランスから英語を締め出すことを文化大臣として公言したことは、以前このブログに書いた。グローバル化でじわじわと侵入してきた英語に対する強硬策で、英語のものは固有名詞ですらすべてフランス語に直す、というものだった。しかしこのときの国民の反感は思った以上に大きかった。1993年あたりは、欧州連合が実質的に動き出したこともあり、もう一つの大きな世界へフランス国民の目が向き始めたところでもあったからだろう。大半の若者がこのとき文化大臣をけなしたものだ。長いあいだフランスの内側ばかりを考えてフランス化された情報の中で、フランスの外国人たちはどうしていたのだろうと思う。私などは、フランスの色の着いた情報をどうすれば(世界に)通じるような形に直すことができるかなどといったことに腐心したり、誰一人正確な発音をするフランス人に出会えず、結局、情報獲得を諦めたりしていたのだ。

おそらくこれもここ5、6年の傾向だろうと思う。欧州連合が成立して、ヨーロッパの人間が自由に連合国のあいだを行き来するようになったし、10年15年を経て、そうした国境を越えた空気の流通のなかに自然体でのぞむ新しい世代が社会を采配するようになったことが背景にあることが大きいかもしれない。 20世紀のフランスのガチガチのプロテクショニズムが解凍するように、今日TVから英語のコマーシャルが飛び出してくるようになった。アングロサクソンの音楽が普段何気なくTVから流れてくる。フランス人が英語の名前は英語発音をする。フランスの会社がスローガンに英語を利用する。フランスの製品名が英語になる。フランスの文化活動が英語で飾られる…。

どれもこれも、実は新しいできごとなのである。(S.H.)