さてフランスの政治の話である。

フランスがアルジェリアを独立させた1960年代、アルジェリアを含めフランスの旧植民地のアフリカ人たちが大量にフランス国内へ流入してフランスの職業を脅かし始めたため、フランス政府は慌てて政策を立てたというフランスの労働法に関するTVの歴史番組が数年前にあった。おっ、これは大事、と思いながら番組を見たが、録音もせずまたメモもしなかったため、このとき制定された法律の名前も制定年もはっきりしないのが残念至極である。しかしここでは今のフランスを説明するのに重要と思われるため、あえて引用をしたいと思う。
1960年代に制定された労働法に関する法律とは、雇用について、「フランス人でなければならない職業」を分別し明文化したもので、あらゆる職種をこと細かく分類し、全職種の20%以上の職業、殊に、教育、政治、公務員管理職、公社の管理職、医療、司法その他、指導的立場に立つ職業に就く者はすべてフランス人でなければならない、という内容で成立したものだ。職種の「20%」というのだが、当時のフランス社会は公務員社会という形容にふさわしく、国が大多数の株を所有して采配していた大手企業はもとより、私企業は少数派にすぎなかったため、就職口の絶対数から言えば、フランスの大多数の雇用がかかわっていたとみなさなければならないだろう。こうして法的に一線を設けることで、フランスは外国人の侵略からフランス人の雇用を保護した。…

法律になれば、外国人を落としてフランス人を採るということに「差別」とはいわせない大義名分が成立する。大きな組織で外国人も多く仕事をしているが、組織の中の管理委員会はフランス人でなければならないという規約があるから、委員会には外国人は容れない、ということが、こうしてあちこちで日常茶飯に行われてきた。その後EU統合で連合国の人間の流通の自由などの例外が加えられたが、この法律はおおむね同じ形で今日まで至っているようである。

近年、この「フランス人でなければならない雇用」法が少しずつ目立たなくなってきたように思えるのは、むしろ社会が大きく変化してきているためであることを認識しなければならないだろう。

すでにこのブログで、フランスは1993年、大きな経済恐慌を乗り越えなければならなかった話をした。このときミッテラン大統領が、フランスの公社90社近く(エアフランス、ルノー公社など自動車産業、航空産業、電気ガスその他)の民営化に踏み切ることを国民に通達したのだが、17年経った今日、進んだ民営化は「フランス人でなければならない」雇用法の呪縛から解かれた企業を作り出し、またそれに呼応する周辺の私企業を急増させはじめた。公社・公務員と私企業の絶対数がおおきく転倒したのである。

フランスの社会主義的な体制はこうして資本主義化へひた走りしている。その明確な切れ目は、やはり前大統領ジャック・シラクと20歳の開きを持って世代交代を意味した2007年のニコラ・サルコジの大統領当選あたりだろう。

保守サルコジのもとで、フィヨン内閣が現実化したのは、男女ほぼ同数の大臣という男女政治家の均等化である。2007年は、15人の大臣のうち7人が女性となり、8対7の男女ほぼ同数の内閣ができあがった。内務大臣に先に防衛大臣を勤めたミシェル・アリオ=マリーが指名され政府のナンバー・スリーに初めて女性が就く。また、この年の晴天の霹靂は、41歳のマグレブ人、ラシダ・ダチが法務大臣に抜擢されたことを筆頭に、閣外の外交および人権大臣にセネガル生まれの黒人ラマ・ヤド(30歳)、同閣外の市街政治大臣にマグレブ人のフェデラ・アマラ(43歳)の3人が保守政府を「彩っている」(当時の新聞、ニュースの表現。「彩る」とは有色人種を意味している)ことだった。3人ともに女性で、有色人種の男性を容れることにはまだ抵抗がある、とみえるが、有色人種を内閣に入れるというフランスの政治史上始まって以来の大異変がおきた。

ただ、この一面で現政府がいい方向を目指しているという判断を下すのは、ちょっと早すぎる。というのは、政治の場での男女同数という理想も、有色人種を分け隔てなく国に受け入れるという理想も、もともとは野党社会党や共産党が旧政府時代に打ち立てた理想なのだ。実現した保守内閣の構成は、いわばそうした革新の理想の横取りのようなものだった。

ニコラ・サルコジは2007年大統領就任直後にブッシュ大統領に会いに行き、外交方針をアメリカに向けることを誓って握手しあっている。

フランスの新内閣の青天の霹靂は、アメリカは南部テキサス出身の共和党大統領の国務長官が黒人女性のコンドリーザ・ライスであることや、アメリカ国連大使やクリントン大統領の国務長官を歴任したチェコスロバキア出身の女性マドレーヌ・オルブライトが活躍したのを大西洋を隔てて遠望していたサルコジ大統領の、アメリカに対する軽い平衡感覚がなしたアクシデントのようなものではなかったか。それが証拠に、いまだにフランス国内の移民対策では、苛烈な締め付けを続けて国民の反感を呼んでいるし、ロムの強制排除や国外追放でEUと対立してヨーロッパ連合そのものを危うくしている。フランスのサルコジは、残念ながらイタリアのベルルスコーニとともにヨーロッパの最低の首相として名前を連ねているのである。(S.H.)