アクチュアリティ
マルクールの核廃棄物溶融炉爆発事故、レベル1に - 9月12日に死亡事故の起きたマルクール(ガール県)の核廃棄物処理場サントラコの溶融炉で、爆発当時処理されていた放射能汚染鉄鋼4トンは、500倍の放射能があったことが分かった。9月30日のフランス放射能安全委員会(ASN)の調査発表によると、溶融炉内部は当初発表の63キロベクレルではなく、30メガベクレルの放射能があったことが分かり、サントラコに大幅な数字の差について説明を求めたという。原子力安全委員会は29日木曜、この事故をレベル1に査定した。 放射能に関する独自な研究と情報委員会 (Criirad)は、「非常に危惧される状況です。この工場が、核廃棄物の管理や計測能力をきちんと持たずに放射線量の過小評価をしつつ仕事をしたということなのかどうか、はっきりさせなくてはなりません」と鋭く非難した。工場の不透明な管理にたいし、地域の協会が起訴し、10月14日から司法関係での取調べが始まる。「だいたい、こういった廃棄物がどこから来たものか、どういう方法で収拾されてどの程度の量ストックされているのかなど、ぜんぜん知らされていないわけですから、心配は尽きません」と近隣の住民。(TF1TV、ラングドック・ルシヨン・フランス3TV) インデアン・サマー - フランス全国、9月下旬から10月初旬は28度から30度という真夏のような陽気で、7月8月天候不順で足が遠のいていたあちこちの観光地が活気付いている。
アクチュアリティ、フランスにおけるチェルノブイリ原発事故のその後
免訴判決に甲状腺がん患者の会、失意 - 1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故の三日後、当時の放射性イオン保護対策センター長、ピエール・ペルラン(Pierre Pellerin, Service central de protection contre les rayonnements ionisants (SCPRI) )がテレビで、フランスにはまったく放射能の影響はないと発表。同日フランス3TVの天気予報も、フランスを被った高気圧が放射能の雲を押し返しすためにフランスには原発事故の影響はまったくないという放送をした。ところが事実は翌4月30日、SCPRIが全国に布いている探知施設が放射能に反応し始め、ピエール・ペルランが3度にわたって調査をしているがこの際も報告書には放射能の影響は僅少、として国民に知らせることを怠り、政府も何もなかったように、ほかの国がしたようなヨウ素剤を配ったり野菜や乳製品を市場から回収するなどの緊急時における国民の保護措置をまったく取らず、そのまま放置した。同年5月12日、フランス日刊紙リベラシオンが、放射能の雲が国境から入らなかったとは真っ赤な嘘で雲はフランスを被って汚染しており、当局は雲の通過路に関して嘘をついた事実をすっぱ抜いた。 数年後、高度の放射能汚染のあったとみられるコルシカ島で甲状腺異常や甲状腺がんが激増し、2001年5月、 フランス甲状腺疾患患者の会 (AFMT)、放射能に関する独自な研究と情報委員会 (Criirad)、および甲状腺がん患者51人が、放射能の拡散を過少視したために甲状腺疾患が増えたとして、「過失傷害罪」で政府を相手に訴訟を起こした。しかし裁判官の オディール・ベルトラ=ジェフロワ は、「放射能とがんには、石綿のようにはっきりがんの原因となるという因果関係はなく、少量の放射能ががん患者を増やしたということは証明できない」と判決をくだした。控訴院はすでに1999年、当時の政府責任者であったシャルル・パスクワ内務大臣Charles Pasqua、アラン・コリニャン環境大臣Alain Carignon、およびミシェル・バルザック健康大臣 Michèle Barzachの3人にはすでに責任を問わないとしていた。 2011年9月7日の裁判はしたがって、 人心を惑わした容疑でもと放射性イオン保護対策センター長、ピエール・ペルラン(現在87歳)一人が訴追の対象。ピエール・ペルランの弁護士は免訴を要求して裁判所は予審が終わらないうちに免訴判決を下した。この決定に対し、フランス甲状腺疾患患者の会 (AFMT)の弁護士ベルナール・フォーは、「予審がきちんと終わる前に免訴判決が出たことで、甲状腺がん患者たちは見捨てられた思いになることは間違いなく、またそうでなくても、世論に事実隠蔽の疑いをもたせることになるでしょう」。(フランス2TV、ル・モンド紙)
アクチュアリティ、チェルノブイリ原発事故、25周年
チェルノブイリ原発事故、25周年 - チェルノブイリ原発第4号機は、夜中の1時23分に爆発した。25年後の4月25日夜、ウクライナのチェルノブイリ原発の石棺近くに約300人が集い、事故で亡くなった人たちの慰霊祭を開いた。当時、事故収束のために働いたリキダター(片付け屋)も参加し、「あれから仲間のうち61人が亡くなった」、「当時は自分の身を守るより、ほかの人たちの安全のために働くほうが先だった」と回顧した。チェルノブイリ原発で仕事をしたリキダターは、83万人。うち12万人が死亡。石棺の中にはいずれはすべて廃棄しなくてはならない200トンもの核燃料が放射線を出し続けている。石棺の周辺の居住禁止区域では、現在も50倍から100倍の放射線量が測定できる。 フランス政府は何故、「放射能の雲は国境を越えてフランスには入ってこなかった」と嘘をついて、ヨーロッパのほかの国が行ったように放射能から国民を守るための対策をまったく取らなかったのか、あのときの政府の嘘はいまだに理解ができない。現実には放射能の雲はフランスを覆い、特にコルシカ島やドローム県(ローヌ・アルプ地域)方面などを汚染した。25年経った今、フランスの病理統計では甲状腺がんが4倍に増えている。当時ドローム県で薬草栽培を生業にしていたある女性はチェルノブイリ原発事故後、庭のタイムが2300ベクレルという高濃度の放射線に汚染されていることをCRIIRAD(Commission de recherche et d’information indépendantes sur la radioactivité: 放射能に関する自主研究と情報委員会。チェルノブイリ事故後に創設した)から突然手紙で知らされたという。また、甲状腺がん患者の女性は、「あの時庭に自家栽培していた野菜を食べていましたから、そのせいじゃあないかと・・・」と放射能に対する疑いをぬぐいきれない。問題は、がんの原因について、放射能だけが原因だと言い切れないことだ。ある医師は、「いろんなファクターがあり、農薬とか殺虫剤とか、ホルモンの関係とか。放射能は可能性の一つとして考えられるだけ」ともいう。チェルノブイリ事故直後CRIIRADを創設し現在ヨーロッパ議会議員となったミシェル・リヴァズィは、当時の政府の嘘を糾弾して、「子供とがんと、それからヨウ素の関係をちゃんとつかんで、取るべき処置を政府がちゃんと取らなければならなかったんですよ。放射能の雲が国境を越えなかったなんて、がんも国境を越えなかったというんですか!」(フランスTF1 TV昼のニュース) フランス政府に対し、甲状腺がん患者たちが協会を結成して、損害賠償を求める動きが高まっている。(フランスTF1 TV夜のニュース) My opinion: 1986年4月は、社会党が全国地方選挙で雪崩のように大敗し、社会党のミッテランを大統領に、内閣はシラク首相以下保守一色となって保革共存政権が確立したばかりで、シラク内閣は、それまでの社会党政治をストップさせて保守色に塗り替えようとしていた時期。 注記:TF1 TVとほかのフランスTVなどで引用されるチェルノブイリ関係の数字に若干差があるが、そのときどきの放送の内容に忠実に翻訳することにしている。(S.H.)