職業の自由ということの大きさ
2003年にアメリカ、ニュー・ヨークに行った。このとき、目から鱗が落ちるように再認識したことがある。それは、アメリカでは外国人が(といってもアメリカは外国人でつくられた国なのだが)、渡来一世ですらも自由に職業をえらび、あるものは管理職につきまたは教師になり、社会的ステータスをその人なりに持っておおらかに人生を謳歌していることだった。フィラデルフィアのペンシルバニア大学で学部の主任教授をしている日本人から話を聞き、クィーンズ・ミュージアムの専任アソシエイト・キュレーターとして仕事をしている日本人女性と出会い、ニュージャージーの大学の大学院を出たばかりで大学のギャラリーのディレクターに抜擢されたという日本女性に会って、彼らの自然さや満ち溢れた自信に出会った。2人の女性はともにアメリカに来て10年しか経っていないという。フランスではまったくありえないことを目の当たりにして驚嘆した。アメリカで見た「職業の選択の自由」。そんな大事な自由の一つを、フランスの20年の生活ですっかり忘れるほどになっていたことに、われながら呆れかえってしまったのである。 アメリカには永住権が存在することも職業の自由に大きな影響があるのかもしれない。 フランスは国にとって過客に過ぎないエトランジェに対し、フランス人だけが就ける職業という法律を制定することで、ある一線から常に外国人を締め出してきた。「そこいらへんで道路工事をしている外国人は、ひょっとしたら教師の資格を持っているかもしれないのに、フランスではあんな仕事しかできないでいるのよね」と、私のかかりつけの眼科の女医がもらしたことがあった。フランスでは、アメリカでよく聞く能力やその努力の証明となる「資格」という言葉をあまり聞かない。フランスは「権利」という法に照らした言葉のほうが好きだ。私は権利があるがあなたは権利がない、と言ってしまえる簡便さ。そんな国では、能力や努力の一切は別の世界のこととなるのである。(S.H.)