アクチュアリティ、内閣改造
内閣改造、これで4回目 - 2011年2月28日付けで、内閣改造が発表された。外務大臣ミシェル・アリオ=マリーがチュニジアの暴動を軽視し、「プラハの春」をもじって、現在「アラブの春」とまで呼ばれるようになったアラブ諸国の民主化への動きにたいし、国民議会で「チュニジア政府にフランスの軍事援助を提供してチュニジアの暴徒鎮圧に協力をする」という案を提出して、議会のみならず国民の大きなひんしゅくを買って以来、「ミシェル・アリオ=マリー降ろし」が嵐のように始まったのがきっかけ。チュニジアの反乱初期すでに死者が数十名出ていた時期にチュニジアへクリスマス・バカンスに行き、ベン・アリ大統領の側近の飛行機で周遊したり、当時ミシェル・アリオ=マリーの両親がチュニジアの不動産投機をするなどしていたことが矢継ぎ早に明らかにされて、チュニジア旧政府との関係が槍玉に上がった。これに対しミシェル・アリオ=マリーはメディアで反論をし続けたが失言が重なるなどし、辞表を書かざるを得ない状況へ。辞表は「私は何の過失も侵してはいないけれど、状況が許さないようなので」という内容。外務大臣がアラブ諸国の民主化への動きを察知していなかっただけではなく、大臣の行動の裏にあった現政府のアラブ諸国との旧来の外交姿勢自体が問題視されることになった。歯止めがきかなくなった政府は「フランスのイメージが危うくなる」(フィヨン首相)のを防ぐため、内閣改造へ。 ミシェル・アリオ=マリーの後任は、アラン・ジュッペ。また、この内閣改造で内務大臣ブリス・オルトフーが退任、ロムの国外追放の際、内務省通達でロムを差別扱いしたことなどが原因とみられている。 内閣改造はこの一年で、4回目となり、サルコジ大統領の不人気を裏付けるかたちとなった。ちなみに大統領の現支持率は21%から25%。 新内閣構成はつぎのとおり。ウィキペディアフランス。http://fr.wikipedia.org/wiki/Gouvernement_Fran%C3%A7ois_Fillon_(3) 働く女性の割合 - 2011年現在フランスでは、女性の人口のうち働く女性の割合は66%。3歳以下の小さい子供を持つ母親で、働いている女性は78%。この数字は1975年の統計43%にたいし増加傾向を続けている。(フランスTV)
アクチュアリティ
ブラッセルで欧州議会サミット始まる - 欧州議会サミット第一日目から、中心の話題はフランスのロム強制追放。欧州議会議長のジョゼ=マニュエル・バロゾがフランスを名指して、少数民族虐待を即刻止めるように勧告して演説。サルコジ大統領は、これを欧州議会の関与のしすぎとして受け付けず、ロムの追放は止めない方針を明言した。バロゾ議長とサルコジ大統領の衝突が激化。フランスと欧州連合の亀裂深まる。 サルコジ大統領はまた、国外追放はロムを集中的にしているわけではなく、他の民族、たとえばベトナム人、アフリカ人、イラン人など人種別に国外追放に関する数字を発表したりもし、許可を持たずに滞在している外国人の国外追放がフランスの政策として満遍なく行われていることも強調した。 後日談: -9月19日ルーマニアで、フランスの差別にあい強制追放などで苦しい立場に追いやられているロムを支援するデモが行われた。確かにロムはヨーロッパ人で、ヨーロッパの自由交通からいえばフランス滞在は不法滞在にはならない。「ロム国外追放は、かれらの貧困を嫌って行われている」と、デモ隊がフランスに対して批判。 -9月20日、パリ近郊都市ボビニーの警察署での外国人の滞在許可証などの書類申請窓口の様子が、フランスTV で紹介された。フランスの滞在許可書類書き換え申請や獲得に、肌寒い明け方2時から行列。窓口が処理できる人数は一日500人が平均だが、ボビニーではその3倍の1500人が訪れるという。朝8時、窓口が開くころにはすでに500人が行列を作り、すでに限界人数。また、大勢の人間が待っていても昼休みには窓口は全部閉まってしまい、機能しない。住所変更などの簡単な手続きも、同じ行列に並ばなくてはならないという。外国人にとっては書類獲得は困難を極めるすさまじさだ。 「処理をなるべくスムーズにまた内容によって窓口を分けるなども考えているが、今は許容いっぱい」と警察署。無国境教育協会のボランティアたちは、「とんでもない、こんな状況で書類を処理するなんて、外国人の人権を無視しています」と受け入れのひどさを糾弾した。