ルシアン・ヌーヴィルト Lucien Neuwirth
・ルシアン・ヌーヴィルト、昨日死去 1967年、女性に避妊薬(ピル)を解禁する法の名となったルシアン・ヌーヴィルトが、昨日の夜亡くなった。89歳だった。 16歳でレジスタンスとなり、長い間右派の議員、そして上院議員を務め、当時非常に保守的だったフランスで1967年、与党内の大多数の反対派を押し切って避妊薬を解禁する法律を通過させ、「避妊薬の父」とまで呼ばれた。 1924年5月18日にサンテティエンヌで生まれたルシアン・ヌーヴィルトは、フランス自由戦線に合流、戦争中に重傷を負い、囚人の身となった。パリ解放までRPF党に入党。政治家の道を歩み始めたのは生家のある町の市議会からだった。 1957年から、国は幸せな出産へ大きな動きを見せ、その動きは家族計画へとつながる。 1967年12月、国民議会で、出生に関する法「ヌーヴィルト法」が決議された。この法律は、避妊薬の生産や輸入を許可し、医師の処方箋で、未成年でも親の許可があれば薬局で避妊薬を購入することが許されるというものだ。とりもなおさずこの法律は、現実に実施されるには1972年の施行決議書が発令されるのを待たなければならない。 ヌーヴィルト法は、一般的な計画出産の概念を導入しただけではなく、女性自身がバースコントロールの主役になることで女性の解放にもつながる意味を持つ法律として、フランスでは歴史的な事象とみなされている。今日は国民議会でヌーヴィルトの死を悼み、その逝去が議員たちに伝えられた。(フランス2TV、20ミニュット)…