2018年は第一次世界大戦終戦からちょうど100年目。当時の首相ジョルジュ・クレマンソーが停戦条約に署名した11月11日の今日は世界の首脳をパリに集めて凱旋門の足元で停戦記念と慰霊が行われた。

第一次世界大戦停戦記念100年 2018-11-11

ヨーロッパにおける第一次世界大戦の激動は、大戦勃発ちょうど100年を迎えた2014年にフランス中で大特集が行われ、当ブログも少し詳細に記録をしているので、参照ください。http://shigeko-hirakawa.org/blog/?p=9116(11月11日11時、第一次大戦開戦から100年)

第一次世界大戦の死者は一千万人を超える。

2018年11月11日 第一次世界大戦停戦100年記念 フランスTV

 

フランス、戦争を拒否した人々を大弾圧した1917年からちょうど100年

・関連記事、2017年5月19日: L’Humanité電子版

大戦中の1917年春から夏にかけて、主要な軍隊の3分の2が軍上層への服従を拒否し反乱を起こすまでに至っていたことが歴然としてきているが、この動きは当時中将だったフィリップ・ペタンによって抑圧された。第一次大戦からは3つの大きな問題をすくい上げることができる。一つは敵との信頼関係(条約など)、二つ目は見せしめのための処刑、そうして、反乱である。特に反乱についてはそれを認めることを拒否する者もいれば、反乱に加担していることを言うことは危険だと考えている者もいた。しかし現在、軍事司法局が研究者に向けて当時の資料を公開するようになり他の証言とも合わせて検証が可能になってきている。

兵士の不服はすでに1914年の秋頃から見受けられ、行軍日記によればそれは拡大するばかりであったらしい。1915年の早い時期には、壕から出て敵に立ち向かうことを拒否する兵士たちがいた。一方で、女性たちが農作業をやめて抵抗運動を起こすのを願う者もいた。パンスエ伍長が1916年12月、「兵士たちは近いうちに反乱しますよ」と述べている。また他のものは「驚くべきは、こうした兵士たちが反乱もせずに服従していることだ」と。

1915年に98回発生した兵士のストライキは1917年には697回にも上り、服従拒否の態度はますます明らかになっている。1917年春、紛争の首謀格の一人が追放されてロシア革命が成ったのを見て、ある司令官がフランスも同じようにすべきと唱えた。ストックホルムで予定されていた国際社会主義会議が平和への希望を生み出す一方で、 4月16日の攻撃の失敗が軍の上層部を危機的状況に陥れ、大将が更迭されてヒエラルキーが危うく揺らいだ。フィリップ・ペタンがニヴェルの後任に就くまで、すでに多くの反乱の要素が出来上がっていた。

しかし反乱は慎重でなければならない。すでにフランスの戦争評議会は開戦直後に戦争に反対する共産党員を500人処刑していたからである。

1917年の春夏の暴動は、軍事機関内で市民の主張を反映する大規模で多元的な戦争拒否を表明した。これがロシアと異なったのは、この反発が政治革命につながらなかったことである。軍事機関は、兵士の休暇を認めたり物資供給を増加して環境改善を施したが一方で弾圧を強化することによって優位な立場を堅固にした。

戦争評議会はこの集団の抵抗を個々の反抗行為とし600人の死刑を宣告した。しかしその大半は、民間の強制労働に移され植民地に送られたのである。歴史家アンドレ・ローゼ*によれば、この反乱のために処刑された兵士は26人に上る。そのうち 1人は処刑される前に自殺。一人は逃亡に成功した。これらの数字は、あらゆるレベルのパニックが直截正義につながった大戦当初の年よりはるかに低いと言わねばならない。ペタンはしかしながら大統領の許可を受けず、兵士7人の処刑を敢行した。この同じペタンが、第二次大戦の1941年にフランスのレジスタンスに対する自己の演説「逆風」の中で、「1917年に私は反乱を鎮圧した」と述べたのである。

(以上は歴史家レミィ・カザルRémy Cazals Historienの文章要約)

*André Loez, 14-18. Les refus de la guerre. Une histoire des mutins (Folio « Histoire », 2010)

出典:

https://www.humanite.fr/les-mutineries-de-1917-un-refus-de-la-guerre-massif-et-multiforme-636324?fbclid=IwAR1NJnMS6bID2kuZfTr-1w9bWwxg3AVQKV6Uku1_Tc6RD7iQEKHNcrv7xSE

My opinion: 戦争は結局、外敵を討つだけではなく、同じような圧力を持って内側に向かって向かって行われるのは世界各国同じらしい。この圧力を弾圧という。企業戦争、経済戦争などが戦争という言葉の元に、内側に向かって何でも統制される今日の社会が作り上げられていることに思いを馳せざるをえない。このまま外へ向けた戦争へ突っ走らないように、反抗すべきものは、「今」反抗すべきである。戦争が起きてしまってからはまた過去の粛清という名の実質の処刑が待っていると考えていいのかもしれない。(S.H.)