フランスから―環境とアートのブログ

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フランス文化のきのう、きょう

21世紀のフランス大衆文化

21世紀の青天の霹靂はまだある。TVやラジオから英語が頻繁に聞こえ始めてきたことだ。 フランスのプロテクショニズムは、フランス全体の雇用のみならず、一般が接する大衆文化面においても顕著だった。たとえばフランスのテレビはアメリカや外国の番組を輸入して放送しているが、放送に際しては主題曲やあるいは主人公の名前までもフランス語に直して、フランスの番組のように仕立て上げるのが普通だった。日本で《奥様は魔女》と邦題したエリザベス・モンゴメリー主演の古いホーム・ドラマがあるが、夫役の「ダーリン」は「ジャン=ピエール」とフランス流に改名されている。サマンサもフランス発音のサマンタになり、タバサもタバタとなる。ラジオで聞くマイケル・ジャクソンは「ミカエル・ジャクソン」とディスク・ジョッキーが紹介した。こんなふうに、フランスのTVラジオといった一般のメディアがこぞってフランス語圏以外の固有名詞をのこらずフランス語にして発音していれば、一体どういうことになるか想像がつくだろうか。…

職業の自由ということの大きさ

2003年にアメリカ、ニュー・ヨークに行った。このとき、目から鱗が落ちるように再認識したことがある。それは、アメリカでは外国人が(といってもアメリカは外国人でつくられた国なのだが)、渡来一世ですらも自由に職業をえらび、あるものは管理職につきまたは教師になり、社会的ステータスをその人なりに持っておおらかに人生を謳歌していることだった。フィラデルフィアのペンシルバニア大学で学部の主任教授をしている日本人から話を聞き、クィーンズ・ミュージアムの専任アソシエイト・キュレーターとして仕事をしている日本人女性と出会い、ニュージャージーの大学の大学院を出たばかりで大学のギャラリーのディレクターに抜擢されたという日本女性に会って、彼らの自然さや満ち溢れた自信に出会った。2人の女性はともにアメリカに来て10年しか経っていないという。フランスではまったくありえないことを目の当たりにして驚嘆した。アメリカで見た「職業の選択の自由」。そんな大事な自由の一つを、フランスの20年の生活ですっかり忘れるほどになっていたことに、われながら呆れかえってしまったのである。 アメリカには永住権が存在することも職業の自由に大きな影響があるのかもしれない。 フランスは国にとって過客に過ぎないエトランジェに対し、フランス人だけが就ける職業という法律を制定することで、ある一線から常に外国人を締め出してきた。「そこいらへんで道路工事をしている外国人は、ひょっとしたら教師の資格を持っているかもしれないのに、フランスではあんな仕事しかできないでいるのよね」と、私のかかりつけの眼科の女医がもらしたことがあった。フランスでは、アメリカでよく聞く能力やその努力の証明となる「資格」という言葉をあまり聞かない。フランスは「権利」という法に照らした言葉のほうが好きだ。私は権利があるがあなたは権利がない、と言ってしまえる簡便さ。そんな国では、能力や努力の一切は別の世界のこととなるのである。(S.H.)

有色人種の政治家誕生、2007年

さてフランスの政治の話である。 フランスがアルジェリアを独立させた1960年代、アルジェリアを含めフランスの旧植民地のアフリカ人たちが大量にフランス国内へ流入してフランスの職業を脅かし始めたため、フランス政府は慌てて政策を立てたというフランスの労働法に関するTVの歴史番組が数年前にあった。おっ、これは大事、と思いながら番組を見たが、録音もせずまたメモもしなかったため、このとき制定された法律の名前も制定年もはっきりしないのが残念至極である。しかしここでは今のフランスを説明するのに重要と思われるため、あえて引用をしたいと思う。 1960年代に制定された労働法に関する法律とは、雇用について、「フランス人でなければならない職業」を分別し明文化したもので、あらゆる職種をこと細かく分類し、全職種の20%以上の職業、殊に、教育、政治、公務員管理職、公社の管理職、医療、司法その他、指導的立場に立つ職業に就く者はすべてフランス人でなければならない、という内容で成立したものだ。職種の「20%」というのだが、当時のフランス社会は公務員社会という形容にふさわしく、国が大多数の株を所有して采配していた大手企業はもとより、私企業は少数派にすぎなかったため、就職口の絶対数から言えば、フランスの大多数の雇用がかかわっていたとみなさなければならないだろう。こうして法的に一線を設けることで、フランスは外国人の侵略からフランス人の雇用を保護した。…

黒人ジャーナリスト誕生

フランス初の黒人TVジャーナリスト登場は2006年 ここ4、5年のフランスの目だった変化のひとつに、報道関係や管理職、また政治に有色人種が登用され始めたことが挙げられるだろう。 フランス語の外国人という意味の「エトランジェ」ということばには独特の響きがある。どこか一種、放浪者のような身の軽やかさをかかえた人々を思わせるところがあって、美しくさえ思えたのはフランスに来る前のことだった。フランスに来てからは自分がエトランジェと呼ばれる立場になって、意味するところががらりと変化した。旧被植民地国からの移民や経済移民、また亡命などでフランスには大量の外国人がいる。正統なフランス文化を守ろうとするフランス人にとっては外国人とは何なのか。…

シーレックスの海

Photos by Shigeko Hirakawa: シーレックスの海、ノルマンディー、オールトの海岸線。白い粘土質石灰岩石の中に自然が埋め込んだシーレックス。海に洗われる大量のシーレックスが地域の建材に利用されている。

石の文化と太陽

Photos by Shigeko Hirakawa : 石の文化と太陽 1

芸術省のために (1956年共和国政府覚書から)2

れきしの点と線 1956年12月の共和国政府覚書第4号に掲載されたロベール・ブリシェの文章「芸術省のために」。(翻訳: S.H.) ここに挙げるのは、ジロドゥーが都市の推進者としてこの件について述べたものである。 「もし、都市計画において、国民が現代生活のリズムやその運営を維持する総合的な規律が理解できるのだとしたら、フランスはたぶん、この点で、世界のうちでもっとも遅れた文明国家だということが言えるだろう。市民の精神的な特権をフランス人に求めているだけで、われわれの指導者たちは、生が横溢し大志にみちた国の生活からたち現れる類まれな大志やイニシアティブといったものは、国全体の平均以下の生活や不毛な儀式めいた生活の中には存在しないということを、一切認めようとはしなかったのだ。」(Gireaudoux, Sans pouvoir, P.225)…

ドルドーニュ

Photos of Shigeko Hirakawa: ドルドーニュ、2009年7月

ルーアン

Photos by Shigeko Hirakawa: ルーアン、2010年6月
エトルタ近辺 2

エトルタ近辺 2

Photos of Shigeko Hirakawa: エトルタ近辺 2010年3月

ノルマンディー

Photos by Shigeko Hirakawa: オールト、2010年3月
フランスのきょう-PHOTOS

フランスのきょう-PHOTOS

2010年10月24日

フランスのきょう-PHOTOS

Photos by Shigeko Hirakawa: 2010年10月24日、25日

芸術省のために (1956年共和国政府覚書から)1

一度、世界のトップに立ち、他の国からモデルとしてあがめられた経験を持つ国は、精神の根底で地球レベルのおおきな夢を意識してやまないでいるように思う。文化において、過去長いあいだ先達であり、それがゆえに大きな歴史を形作ったフランスは、世界の文化を導いた過去の栄光を意識しつつ、廃頽した第二次大戦直後、新らたな時代を強く意識しながら、現代から未来へ向かって思考を始めている。 戦後の現代文化を形成する文化省の誕生に寄与した大本の思想。ここに引くのは、そのなかから1956年12月の共和国政府覚書第4号に掲載されたロベール・ブリシェの文章「芸術省のために」の翻訳である。(翻訳: S.H.) 最近の政府議論で、フランス共和国の体制とフランス国民のプレスティージュのために、芸術に関する問題の重要性が浮き彫りにされた。内閣の大多数が芸術省の設立を望んでいる。はたして、共和国は「メセナ」の役割をしなければならないのだろうか。世間は専門家が必要だというが、われわれに言わせるならば芸術家も同じように必要な存在だ。しかしながら、芸術家は自由であることが身上である。芸術家を助け、彼らを苛立たせずに規律の中に入れることが、メセナの義務というべきだろう。共和国はもう何もしないでいるわけにはいかない。この文章を書く著者、芸術・文学国務官である私は、われわれの文化の退廃を嫌というほど見た。はやく、救済策を講じなければならない段階にきているのである。…