フランス初の黒人TVジャーナリスト登場は2006年

ここ4、5年のフランスの目だった変化のひとつに、報道関係や管理職、また政治に有色人種が登用され始めたことが挙げられるだろう。

フランス語の外国人という意味の「エトランジェ」ということばには独特の響きがある。どこか一種、放浪者のような身の軽やかさをかかえた人々を思わせるところがあって、美しくさえ思えたのはフランスに来る前のことだった。フランスに来てからは自分がエトランジェと呼ばれる立場になって、意味するところががらりと変化した。旧被植民地国からの移民や経済移民、また亡命などでフランスには大量の外国人がいる。正統なフランス文化を守ろうとするフランス人にとっては外国人とは何なのか。…
アメリカからよく聞こえてきた「人種差別」という言葉をヨーロッパではあまり聞かないが、耳にしないことがそのまま人種差別が行われないということを意味するのではない。実際のヨーロッパは、よその国と国境を接しているように、外の人間に対しては常に一線を引き、同じ空間で同じ空気を吸いながらまったく違う世界のもの同士であることを根底において生活するといった、いわば外国人に対して見えない隔離の壁を作り続けてきた。したがって、フランスのエトランジェはフランス人と同じスタートラインにはおらず、また彼らと同等の権利を共有することもありえない。外国人の居住には永住権も存在しない。永住しようと思えば、フランス国籍をとってフランス人になるしかない。エトランジェとは、こうした意味でまさしくフランスにとっては通り過ぎていく過客を意味し続けているのである。

こういったフランスの硬い態度はあちこちに反映していて、フランス国籍を持っている有色人種に対しても社会はなかなか心を開いてはくれなかった。アメリカやイギリスやアングロサクソン社会では報道番組のジャーナリストなどに普段頻繁に見られる黒人やアジア人だが、フランスが始めてTVのニュース番組の司会者に黒人登用にふみきったのはつい最近、2006年のことなのである。このとき、雑誌ELLEが6月号で、《人目に触れられないマイノリティ》という見出しで、「ジョーカーの抜擢」と銘打ってこの黒人登用について取材した。「アメリカやイギリスやオランダなどのほかの民主主義国では、もう20年も前からマイノリティがあらゆるところに進出しているのに、フランスはどうしてこうも保守的なのか。アメリカのアフロアメリカンが最高裁判所の判事職についているし、イギリスでも上院議会の議長はギアナの出身である。2百万から5百万とも言われて人口がはっきりつかめないほど外国人の多いフランスでは、黒人政治家はまったく存在しない。そんな国でもいつかは、黒人がテレビ画面に現れて、国民がすんなり平然と受け入れる日がやってきてくれることを願いたい」。

夜のゴールデンタイムのニュース司会者に初の黒人を抜擢したのは民放TVのTF1であった。フランスは、長いあいだ国営テレビしかなく、1986年にフランス1チャンネルが民放化され、民間のものとなったTF1には雇用の自由があったはずだが、たった一人のフランス黒人をテレビ画面に登場させるのにそれから20年もかかっている。この登用と少しの時間差で、フランス国営テレビ、フランス2が呼応するように黒人女性ジャーナリストをやはり「一人」視聴率の一番高い時間帯のニュース司会者に起用した。黒人男女一対のジャーナリスト誕生という2006年のスクープ。これがTVにおける黒人起用の始まりである。爾来、アジア人黒人北アフリカ人など外国出自の特派員がTVによく姿を現すようになったが、ゆめゆめこれをフランスの当たり前の姿だとは思ってはならない。これはフランスがようやくその国内において有色人種に胸襟を開くはじめの一歩の努力の顕れなのである。(S.H.)

NB: 黒人採用以前、報道関係には移民系パイオニアと呼ばれるフランス国籍をもつアルジェリア人、ラシッド・アラブ、また人気司会者にエジプト人のナギが存在する。