フランスから―環境とアートのブログ

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Posts tagged "石棺"

La bataille de tchernobyl チェルノブイリの戦い(福島に捧げる)

La bataille de tchernobyl: Un documentaire réalisé par Thomas Johnson (94’) – Année : 2006 「ラ・バタイユ・ド・チェルノビル…チェルノブイリの戦い」 - 1時間34分ドキュメンタリー・TVフィルム、トーマス・ジョンソン監修、2006年。 注記: 以下の文章は、数分前に見た「チェルノブイリの戦い」のなかで気にかかる点をいくつか抜粋したものである。2011年は、チェルノブイリ原発事故から25周年。またこのフィルムの制作された2006年は事故から20年の区切りとなる年で、メルトアウトの危機にたいするゴルバチョフの戦いも含め、当時を振り返りまた現在を検証するフィルムとして出来上がっている。福島第一原発事故のあと、このルポルタージュはフランスで何度か再放送され、われわれの将来に向かって重要な示唆を提供し続けている。…

アクチュアリティ、チェルノブイリ原発事故、25周年

チェルノブイリ原発事故、25周年 - チェルノブイリ原発第4号機は、夜中の1時23分に爆発した。25年後の4月25日夜、ウクライナのチェルノブイリ原発の石棺近くに約300人が集い、事故で亡くなった人たちの慰霊祭を開いた。当時、事故収束のために働いたリキダター(片付け屋)も参加し、「あれから仲間のうち61人が亡くなった」、「当時は自分の身を守るより、ほかの人たちの安全のために働くほうが先だった」と回顧した。チェルノブイリ原発で仕事をしたリキダターは、83万人。うち12万人が死亡。石棺の中にはいずれはすべて廃棄しなくてはならない200トンもの核燃料が放射線を出し続けている。石棺の周辺の居住禁止区域では、現在も50倍から100倍の放射線量が測定できる。 フランス政府は何故、「放射能の雲は国境を越えてフランスには入ってこなかった」と嘘をついて、ヨーロッパのほかの国が行ったように放射能から国民を守るための対策をまったく取らなかったのか、あのときの政府の嘘はいまだに理解ができない。現実には放射能の雲はフランスを覆い、特にコルシカ島やドローム県(ローヌ・アルプ地域)方面などを汚染した。25年経った今、フランスの病理統計では甲状腺がんが4倍に増えている。当時ドローム県で薬草栽培を生業にしていたある女性はチェルノブイリ原発事故後、庭のタイムが2300ベクレルという高濃度の放射線に汚染されていることをCRIIRAD(Commission de recherche et d’information indépendantes sur la radioactivité: 放射能に関する自主研究と情報委員会。チェルノブイリ事故後に創設した)から突然手紙で知らされたという。また、甲状腺がん患者の女性は、「あの時庭に自家栽培していた野菜を食べていましたから、そのせいじゃあないかと・・・」と放射能に対する疑いをぬぐいきれない。問題は、がんの原因について、放射能だけが原因だと言い切れないことだ。ある医師は、「いろんなファクターがあり、農薬とか殺虫剤とか、ホルモンの関係とか。放射能は可能性の一つとして考えられるだけ」ともいう。チェルノブイリ事故直後CRIIRADを創設し現在ヨーロッパ議会議員となったミシェル・リヴァズィは、当時の政府の嘘を糾弾して、「子供とがんと、それからヨウ素の関係をちゃんとつかんで、取るべき処置を政府がちゃんと取らなければならなかったんですよ。放射能の雲が国境を越えなかったなんて、がんも国境を越えなかったというんですか!」(フランスTF1 TV昼のニュース) フランス政府に対し、甲状腺がん患者たちが協会を結成して、損害賠償を求める動きが高まっている。(フランスTF1 TV夜のニュース) My opinion: 1986年4月は、社会党が全国地方選挙で雪崩のように大敗し、社会党のミッテランを大統領に、内閣はシラク首相以下保守一色となって保革共存政権が確立したばかりで、シラク内閣は、それまでの社会党政治をストップさせて保守色に塗り替えようとしていた時期。 注記:TF1 TVとほかのフランスTVなどで引用されるチェルノブイリ関係の数字に若干差があるが、そのときどきの放送の内容に忠実に翻訳することにしている。(S.H.)

アクチュアリティ、チェルノブイリの石棺

チェルノブイリ原発事故から25年、放射能が漏れ続ける「石棺」- キエフでG8 : 2011年4月19日、キエフでG8と欧州連合によるチェルノブイリ・シェルター・ファンド(Chernobyl Shelter Fund、1997年設立)のためのサミットが行われた。 1986年4月に事故が起きたチェルノブイリ原発第4号機の核燃料および放射性廃棄物90トンを封じ込めるためにつくられた「石棺」にヒビがみつかり、また、石棺が4号機から少しずれて設置されていたことが検証されたことで、再び放射能漏れの拡大がヨーロッパ諸国に懸念されていた。石棺は耐久年、約30年を見込んで作られたものだが、老朽化が急速に進んでいる。古い石棺の外にさらにもう一つの石棺を建造する計画が立ちあがり、2007年欧州銀行の管理の下でフランスのブイグ社とヴァンスィ社が共同で新しい石棺建設を引き受けることが決定したが、建設費用の15億ユーロ蒐集に長いあいだ手間取っていたもの。事故25周年にあたり、今日キエフの世界各国約50名の代表を集めた大会議で、欠如していた建設費用の7億5千万ユーロのうち5億7千5百万ユーロの基金を集めることに成功した旨を会議の副議長を務めたフランソワ・フィヨン(仏首相)が発表、寄付金の目標達成に満足の意を表した。 チェルノブイリ第4号機の新しい石棺建設に、欧州連合は1億1千万ユーロを供出。フランスは最低で4千7百万ユーロを当てる予定だ。また欧州連合は、ウクライナに対しほかの4つの原発の安全対策強化を促進させるために4千8百万ユーロを寄与することが決定した。 新しい石棺はかまぼこ型で、高さ108m、重さ2万トン。4号機の脇で建設したあとスライドさせて4号機をすっぽり包む構造。建設はすでに2010年末から開始し、2015年の竣工予定。チェルノブイリの最後の炉心は2000年に閉鎖されている。 チェルノブイリ原発事故: ・人災。 ・1986年4月26日、稼働中の第4号機で操作を誤り、炉心が爆発。ウクライナ、白ロシア、ロシアを汚染。放射能の雲がヨーロッパのほぼ全域を覆った。 ・公の発表では、4号機の爆発で31人が死亡。 ・リキダター(粛清屋、あるいは片付け屋)と呼ばれる事故の収束のために原発で働いた人は、60万人。最初に到着したリキダターたちは、90秒しか現場にいられないほどの激しい放射線の中で軽微な作業服を身にまとい、建物の外へ飛び散った瓦礫をスコップでかき集めた。 ・放出した放射能で大勢の人々が病気になり死亡しているはずだが、チェルノブイリ事故が及ぼした健康への実害は25年後の今日も論議の的となっている。 ・周辺の農家の家畜は、奇形児を生んだり死産が続出。 ・チェルノブイリ原発から半径30km圏内は、放射能が土に浸み込み、現在も立ち入り禁止。 ・炉心を包むコンクリートの石棺に発見されたヒビは、現在合計100平米の大きさに広がっている。 ・原発の周辺の無人の村には、タンクやショベルカーなど、事故当時に使われた重機がいまだに高度の放射線を放ちながら打ち捨てられている。 (フランス2TV、フランス2TVブログ、Le Monde/ ル・モンド紙、フランス・アンフォ)