フランスから―環境とアートのブログ

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芸術と神経医学、ジグムント・フロイド展

芸術と神経医学、ジグムント・フロイド展

今年創設20周年を迎えたパリのユダヤ芸術歴史博物館で、ジグムント・フロイド展が行われている。社会学から神経医学、そうして精神分析へ。アンドレ・ブルトンやルネ・マグリットなどシュールレアリズムへの強い影響が伝わる。ミケランジェロのモーゼ(石膏のレプリカ)とアメリカ近代絵画を拓いたマーク・ロスコで終わる展覧会のセノグラフィーはフロイドとフロイドの時代を芸術運動を背景に描き出して豊かだ。

5月8日

フランスの第二次世界大戦終戦記念日 8日朝、オランド大統領は凱旋門の無名兵士の墓へ参拝。 戦争がつくりあげた神話(フランス2TVから) この5月8日は、第二次世界大戦が終了して71年を記念する日となる。戦いは、今の私たちが考えるようなものではまったくなかった。1945年5月、ナチスドイツが打倒され、勝利者にとって大きな安堵の日が訪れた。しかし、それはまた、この戦争から紡ぎだされた多くの物語の始まりでもあった。

高くつくテロ対策、一日100万ユーロ & Le Zap

[警備費、一日100万ユーロ(約一億三千万円)] フランスは、1月のシャルリ・エブド銃撃テロ以来、とくにイル・ド・フランスとアルプ・マリチームの二州で襲撃警戒態勢を布いており、これまでの警察や憲兵1万2千人に加え、1万5百人の兵隊が全国にちりばめられている。軍隊出動作戦は「サンチネル」と名づけられたが、国内に兵隊をこれだけ見るのはアルジェリア戦争以来始めてのこと。この警戒態勢は少なくとも4月10日まで続き、可能性として数ヶ月の延長もありうる。すでに9.11以来、観光地や官庁、交通機関などの要所で厳重な警戒を布いていたフランスは、これに加えてイスラム教寺院、ユダヤ教徒の集まる場所、小中学校など教育の現場など830箇所(うち310箇所はイル・ド・フランス)の警備を含めた軍隊出動で、総計一日の出費が100万ユーロに上る、と発表した。

ドイツおよび欧州、ナチス戦犯の捜索強化

[アクチュアリティ]8月12日のフランス2TV夜のニュースから: ハンガリーで公判を待って自宅謹慎していたハンガリー人の旧ナチス戦犯、Laszlo Csataryが先週土曜日ブタペストの病院で亡くなった。98歳だった。第二次大戦時中の1940年から1944年のあいだに、15700人あまりのユダヤ人をスロバキアの強制収容所へ暴力的に連行した「非人道的」行為を追求する裁判にかけられる予定だった。 Laszlo Csataryは1948年、死刑宣告を受けてカナダへ逃亡し、画商をして生活をつないでいたが、1995年にカナダ当局がその正体を発見したためハンガリーへ逃走。2012年に、エルサレムのSimon Wiesenthalセンターによる旧ナチス戦犯の国際捜査によって捕縛されるまで、ハンガリーで何の心配もなく普通の生活を送っていたという。 ・ヨーロッパはナチス戦犯の捜索に積極的(ル・パリジアン) ヨーロッパ当局はこの数年、ホロコーストに直接かかわった戦犯を法で裁くために捜索を強めていた。近年では2011年、ドイツ当局がソビボーア強制収容所の監視員をしていたJohn Demjanjukを有罪にした。戦時中の70年前、John Demjanjukは若年で重要なポストには就いていなかったが、強制収容所で仕事をしたというだけで、直接殺戮に加わらなくても有罪に十分値すると判断されたことによる。 また、同じくドイツでこの5月、Hans Lipschis 93歳が逮捕され、やはり監視員としてアウシュビッツ収容所で大量殺戮に加わった疑いをもたれているが、本人は料理人だったと主張しているという。 ・Laszlo Csataryの死亡を契機に、ドイツで旧ナチス戦犯の捜索強化(フランス2TV)

ユダヤ人の持ち主へ絵画の返還

フランス文化省は2013年3月19日、フランスの美術館で保管されていた絵画を持ち主へ返還する式典を催した。絵画の所有者は、第二次世界大戦中、フランスに在住していたユダヤ系オーストリア人。ドイツのナチスやフランス警察の追及を逃れて1939年フランスを脱出する際、持ち出すことができずにフランスにおいていった所蔵品で、アメリカのボストン在住の孫にあたるトーマス・セルドルフ氏が式典のため来仏。報道陣を前にオレリー・フィリペッティ文化大臣がセルドルフ氏に手渡しし、大臣はこれからも積極的に戦時中に不当に収集されたり迷子になった絵画の持ち主を探す研究を進めることを約束した。セルドルフ氏への作品の返還は70年ぶりとなる。 絵画は、17、18世紀のイタリアの画家 (Gaspare Diziani, Sebastiano Ricci…)のもの6点。返還手続きは生易しいものではなく、ボストンから駆けつけた84歳のセルドルフ氏は、繊維産業を営み芸術愛好家であった祖父のリチャード・ナウマン氏の思い出を語りながら感激していた。 リチャード・ナウマン氏は第二次大戦前、200点あまりの作品をコレクションしていたが、祖国オーストリアが1938年にドイツのナチと協定を結んだことでオーストリアから逃亡せざるを得ない状況に陥り、その際にコレクションの一部をオーストリアにも置き去りにしなければならなかった。家族とともに幾ばくかの作品をかかえてパリへやってきたが、1941年、スペインからキューバ、そしてニューヨークへ渡るために絵画を急いで手放したのだという。…