更新:2014年3月9日。3月8日は国連が指定した「国際女性の日」だ。

フランスの大統領官邸では、女性の権利省大臣、ナジャット・ヴァロー=ベルカセムと女性の会社社長13人が集い、経済社会における女性の平等性について討論を交わした。

http://www.najat-vallaud-belkacem.com/2014/03/09/echange-avec-le-president-hollande-et-13-femmes-cheffes-dentreprise/ (ナジャット・ヴァロー=ベルカセム大臣の公式サイト、3月9日付け)

ヨーロッパは女性の進出がパリテ政策とともに格段に進展したとはいえ、まだまだ平等というには程遠く、例えば同等の社会的地位に着く女性と男性の給与格差が平均20%存在する。男女差別を要因するもののうち女性が社会で働く上で日常身につける服装が問題で、男性は背広にネクタイといういわゆる社会でのユニフォームがあるのに対し、女性には働く女性を象徴する服がなく、会社の上層部にある女性の毎日の服装への配慮は欠かせない。(TF1TV)一方で、フランス2TVは服装の違いのない軍隊の女性兵士を取材した。もちろん現在まだまだ女性兵士の数は男性兵士に比べ大変少ないが、昇進に関してはまったく差別がなく、兵士たちは女性指揮官のもとでも男性指揮官のそれと同様、規律を守って訓練を行っている。「まったく性差を感じずに日常の仕事をこなしています」とは一等兵の教官にあたる女性軍曹。日常の運動も彼女が指揮。それに従う男性兵士には何のためらいもみられない。

さて日本はどうだろうか?

日本内閣府のジェンダー白書を覗いてみよう。日本の女性の社会参画状況は、かなり厳しいことがみてとれる。

平成24年度、男女共同参画社会の形成の状況、及び、平成25年度、男女共同参画社会の形成の促進施策 (平成25年版男女共同参画白書)へリンク

 

女性の雇用が伸びたというが、働く女性の数が多くなったというだけの話で、彼女たちの実態は、非正規雇用によるいわば使い捨て労働をさせられていることが浮き彫りになっている。また内閣府の調査によると、正規雇用者と非正規雇用者の就業環境は桁違いで、例えば就業中に子供を任せられる保育機関は正規雇用者しか利用できない場合が大半であるらしい。社会的責任、昇進、昇給、社会保険、年金などはもとより、激しい環境の差の中で女性労働者が増加を見せている。

 

さてフランス。

フランスはオーランド政権が樹立して以来、「女性の権利省」が施設され、家庭内暴力(夫による暴力で2日に一人というペースで妻が殺されている)への対策や社会進出への助勢、パリテ(政治・社会の男女同数を目指す政策)促進、全国の学校教育で「男女の区別」をなくす、などあらゆる方面で政府が一丸となって男女の真なる平等へ歩んでいる。

今日は、オーランド大統領が女性の権利省大臣ナジャット・ヴァロー=ベルカセムと数名の女性たちと会食。パリでは、女性の権利、とくに、先だってスペイン政府がこれまで許されていた堕胎を違法とする法案を提出したため、これに反対するデモが数千人を集めて行われた。堕胎は女性の権利のひとつとして、認められたというフランスの女性の戦いもその裏づけとなっている。

My opinion: 大体、私はあんまり形容詞が好きではない。みたい、とからしさ、とか。「らしい」ことが美徳だと思っている人が沢山いるようで、どうもたまらない。「らしさ」には自然に備わったものより、作られたものの意味のほうが強い。そうした作られたものをそとから押し付けられるほど嫌なことはないと思っている。たとえば「女性らしい」などということばをかけられると真剣に怒ったものだ。女性らしさ、男性らしさ、などということを言う前に、おしつけの「らしさ」のなかの「嘘」を払い落とすべきだ、と私はかねがね思っているのである。「らしさ」には当人の個性を排除し、ほかの人が持つ共通のものしか想像させない、悪い「一元化」の要素が充満しているからだ。

20年以上前、ル・モンドが北欧の女性研究者の取材をし、驚くべき差別を明らかにした。科学研究者のリクルートで、例えば女性は80点をとっても40点を取った男性が優先して採用されるという。欧州の「同じ社会的地位にありながら20%の給与格差が依然としてある」という部分は、差別されてきた女性への観念をいまだに継承しているものに他ならない。

日本のこうした白書を見ると、「らしさ」や「雰囲気」「空気」が横行する日本は、科学へのリンクに弱いのか、やはり女性の研究者の数は欧米の比ではない。男女比率で女性の数14%、世界で30位以下となっていて、これもがっかりさせられる面のひとつとなっている。結婚で30%の女性が離職する。第一子が生まれると、また36%が離職する。そうして現実には、日本の女性の時間の70%は家庭で消費される。育児、家事、そして介護。介護に至っては男性はわずか27%、つまり残りの73%は女性が行っており、男女がきれいに家庭の問題を分担して行う、という(フランスが目指す)かたちには程遠い。女性にとって結婚や出産が大きな人生の山場となる国で、いったいこれほどの足かせを、いつになったら男性と分担軽減して、たとえば学究へ振当てる日がやってくるのだろうか。女性はいつになっても自分の個性を伸ばせず、専業主婦に閉じ込められて終わるとはまったく残念に思えて仕方がない。家庭的やら奥ゆかしいやら、社会が作り出した形容詞の重い足かせをはずして、結婚も出産も仕事をしながら普通にこなしていくフランスやイギリスの女性のように、たくましい日本女性を受け入れる日本の社会の姿を見られる日はいつ来るのだろうか。(S.H.)