メセナはフランス語でmécénatと書く。発注や個人への資金援助をして芸術や文学を振興することを指していい、メセナを行う人間や団体を「メセヌ(フランス語:mécène)」という。歴史を遡ると、アンリ4世が芸術や文化を擁護し、「メセナをした」という記述があるのが知られているらしく、よく引用されているのを見かけるが、現代では、1980年代初頭にフランス国家が積極的に芸術振興をする政策をとり、生きた芸術家にさまざまな支援を施すことを「国のメセナ」と呼んだのが記憶に新しい。

語源は、古代ローマ時代に活躍した詩人であり政治家であったガイウス・キルニウス・マエケナス(ラテン語: Gaius Cilnius Maecenas、 紀元前70年4月13日[1] – 紀元前8年10月)からきており、その名前Maecenasのフランス語への点訳がmécèneであることに由来しているという。
日本人にとってヨーロッパの人の名前はコレと、限定するのが難しい。このマエケナスというカタカナ読みもカタカナが日本語だけにあやふやな部分を残している。げんに、上記のスペルはラテン語だが、この人物のイタリア語綴りは「Gaio Cilnio Mecenate」。フランス語のウィキベディアは「Caius Cilnius Mæcenas」としている。たとえば、よく聞くイタリアのCaesarは日本では英語読みをカタカナにした「シーザー」が一般的に通用しているが、おおもとのラテン語発音をカタカナにすると「カエサル」と呼ばねばならず、これがフランス語になるとCésarで、「セザール」という音となる。国や時代によって綴りも異なれば発音も異なるものとなることを考えれば、話題になっている人物が同一人物であるかどうかを見極めるためにちょっと時間がかかるのは、ヨーロッパ言語の複雑さからいってよくあることだ。
メセナの語源になったマエケナスの名前:
・ラテン語:Gaius Cilnius Maecenas
・イタリア語:Gaio Cilnio Mecenate
・?:Caius Cilnius Mæcenas(ウィキペディアフランス語ページ)
・フランス語:Mécène
こうしてみてみると日本で学んでいる英語読みのヨーロッパ人の名前は却ってヨーロッパで通じない可能性があるということが分かるのだが、それはさておき、ガイウス・キルニウス・マエケナスは、古代共和政ローマ期に活躍した政治家で、初代皇帝アウグストゥスの外交・政治面のアドバイザーであり、軍事面を掌ったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパと並ぶアウグストゥスの腹心ともなり、この時代に輩出した新世代の詩人・文学者の最大の支援者としても知られ、皇帝アウグストゥスの文化面の補佐役でもあったという。
富と権力的な立場をフルに活用した古代ローマのマエケナスの文化支援をたたき台に、そのフランス語名「Mécène(メセヌ)」が文化支援者の代名詞としてよく利用されるようになリ、徐々に芸術や文学の保護に関する通用語として広く使われるようになった。こうしてフランスでは、中世(13から14世紀)の芸術作品発注によって芸術家たちを養ったMahaut d’Artoisや Isabeau de Bavièreといった地方の王女たちがメセナをしたという形容を蒙ったという。

はたして、メセナの黄金時代は、イタリア・ルネッサンスとともに開花する。保護政策による商業の富に裏付けられたフィレンツェの技術者集団(ギルド)が宗教建造物の建設や装飾に携わった。またことに、メディチ家がミケランジェロやヴェロッキオなどの芸術家、マイアノやサンガロなどの建築家、その他文学者などを擁護したことがよく知られている。同じ時期、フェラーラではエルコレ1世デステがその中心的な役割を果たした。またシエナでは銀行家のアゴスティノ・キギが芸術と文学を広く擁護した。

フランスでは同時期、枢機卿で大臣だったジョルジュ・ダンボワーズが、一大メセヌとして、フランスへのイタリアルネッサンス導入へおおきな役割を果たしために、当時の国王フランソワ1世や、アンヌ・ド・モンモランスィがそれをさらに支援し国内に広めることに成功したといういきさつがある。フランソワ1世は、自分の権力顕示のためにメセナの威力を最大限に発揮した。パリからそう遠くはないフォンテンブロー城に、大勢のイタリアやフランスの芸術家を集め、その中には、フランソワ1世が1516年にイタリアから招聘したレオナルド・ダビンチもいた。国王はダビンチをアンボワーズのクロ・リュセに居住させている。
ヨーロッパでは皇帝ロドルフ2世がティツィアーノやアルブレヒト・デューラー、ブリューゲルの多くの作品を自らが居住したプラハの城にコレクションをし、メセナをしていたという事実が1595年に確認されている。

結局フランスでは、王政から共和制へと移行した時代を見ても過去からずっと、文化メセナは「国政」だったということがよく分かる。
フランス文化省の現代文化政策は歴史の延長線上にあるということになるが、それでは企業メセナの役割は、どうなのか。

フランス大企業メセナはよく知られているものがあるが、地域によっては中小企業のメセナが重要な役割をはたしていることが今日あきらかになり始めた。1985年には12.5%だった中小企業のメセナが、1990年代初頭には、41%に上昇しているのだ。フランス文化省の年間文化予算が130億フラン(国の全体予算の1%)であった1994年には、フランスの企業メセナによる財源は 8億フランに上昇しているのである。
2008年のフランスは、20人以上の雇用者がいる企業のメセナ活動の全体で、約25億ユーロの出資。この内訳は、文化へ40%、連帯事業へ32%、環境保護へ15%、研究事業へ9%、スポーツへ5%だ。要約すると、企業メセナから文化へ寄与されている分、約10億ユーロは、2008年のフランス文化省の文化予算のなんと44%となるかたちだ。

また、環境メセナは、1990年代に、グリーンウォッシング(グリーンということばをつけることによって消費者に環境保護にいい、という印象を持たせる偽商品の拡販)を懸念した時代に始まったもので、実際には企業の緑化が主体的に行われた。環境省には企業メセナ対応サービスがあり、持続可能な開発総合委員会によって、企業が行うメセナに関する司法的、税法的ガイドが発刊されている。

2010年当時の文化大臣、フレデリック・ミッテランは「国や権威の責任というものは、ただ文化生活へ予算を流し込むことにあるだけではありません。一般市民のイニシアチブを高揚することにもあります」と述べた。

メセナ ウィキペディア http://fr.wikipedia.org/wiki/M%C3%A9c%C3%A9nat

2009年のリーマンショック、欧州経済危機で、フランスもほかの欧州諸国のように経済状況は厳しく、今年は各省の7%予算削減で大モメし、環境大臣が更迭されたほどだ。それでも中小企業のメセナ活動が健在。その数字の裏に、企業が行うメセナ活動の代償として税率を引き下げたり実質的特典を与えたりする国の影の政策が功を奏していることを考えなければならないだろう。弱いところから斬る、のではなく、弱いところへてこ入れをする網の目の綱領で救えるものを救う。国から企業へメセナが移っても、国の意志は常に反映していると言えまいか。
(フランス版、イタリア版ウィキベディア、参考。S.H.)