サステイナブル・ディブロプメントの理想型:

突如として地面にたたきつけるような雨が降る。フランスにもモンスーンがあるのかといって最初は笑ったが、野外の仕事が多くなってからは真剣な問題のひとつとなった。傘をさしてはいられないから合羽を着て作業をする。雨が上がるのを待っているほどいつも時間の余裕はない。

ボルドーから120キロほど南に下ったところにあるモン・ド・マルサンという町との出会いは、1997年に遡る。モン・ド・マルサンはランド県の県庁所在地で人口3万人ほどの小都市である。松ノ木がテーマになるという展覧会のため現地の下見に招聘されたとき、ボルドーから車で走ったモン・ド・マルサンまでのアスファルトの長い道はびっしりと生えた人工植林の松林を掻き分けてまっすぐ敷かれていた。延々と切れ目もなく続く松林はもともと、森林産業のために植えられたものではなかった。中世は、膝まで埋まる泥の湿地帯で時折巡礼者が通るだけの無人の土地であったらしい。この荒れた自然を人間の知恵(後にそれがナポレオンであったことを知ることになるのだが)が大きく変えた。海岸松を植えることで松ノ木が地中のおびただしい水をポンプのように吸い上げ、結果この広大な地面を乾かすことに成功したのである。… こうして松の植林は面積を広げていき、とうとう現在、ヨーロッパ一の人工松林になったという。町の中央を川が走り、あちこちに泉が湧いて湧いた泉水を川へ引導しなければならないし、未だにどこを掘っても水が湧き出してくるらしいが、植林松のおかげで人が住むことができるようになり、また長ネギやにんじんなどの農耕を可能にすることになった。モン・ド・マルサン周辺はどこも砂地である。根深の野菜に適するらしい。大きな木の根すら毛根まで完全な姿のまま、すっぽりと砂から抜けてくれるのである。水を大量に含む松はしたがって途方もなく重く、切ったばかりの松の切り口の毛細管からはいっせいに水のように透明な松脂が汗のように噴出してきた。松の皮を切ってこうした松脂を収集し、テレピン精油を精製する工場もあれば、松のパルプからクラフト紙をつくるフランスで一番大きい製紙会社もこの松林の中にある。一方では、乾燥した夏になると森林火災が絶えない。この年、通過する列車がレールとの摩擦で起した火花が原因で3000ヘクタールの松林を焼いて住民を震撼させた。海岸松の禍福の中で生きる土地という概観である。

この土地の松にはこれだけの歴史が隠され人間生活へ課された役割が隠されている。自然のもの(松)が持つ力を借りて人間の生活環境に悪劣な自然の様態を変貌させ、かつ人間生活に役立てつつ、またそれが時代を経て支障なく続いていくという意味で、モン・ド・マルサンのこの例は、現今話題の「持続可能な環境開発」の好例といえるかもしれない。

モン・ド・マルサンで私は物が持つ歴史とその存在理由の深遠に突き動かされた。そして昔から自然をうまく実利的な方向へ向けることで荒々しい自然を飼いならし共存するすべを見出してきたフランス人の知恵にも感心した。が、何よりも、こういった土地と人間の死活に結びついた歴史的な背景の重みを知ったとき、「松」は素材という単なる物の次元からやすやすと離脱し、作品は現実を知る人々の感性により鋭く直裁に響く言葉を内包して分かりやすく、また現実の重みを通してより強いものになったのである。モン・ド・マルサンの地面を抉って出現したような、土と40トンの松の根が川に沿って大きくS字型に蛇行した全長130mの、《系統樹・死》と題した私のインスタレーションは、一ヶ月をかけて完成した。このとき招かれてこの地に来たフランスの美術批評家ピエール・レスタニ氏は、「ランド・アートの強烈さ」、とこの巨大なインスタレーションを形容して言った。「ランド・アート」とは、なんとも古い1970年代のアメリカのムーブメントに比されたものだと思ったが、豈にはからんや、フランスにおいて新たなランド・アートがクローズ・アップされ始めたは、どうもこの時期ではなかったかと憶測している。

その後、こうした野外展があちこちで行われるようになった21世紀のフランスでは、「ランド・アート」という言葉が甦り、野外インスタレーションで環境にマッチしたものを大雑把に「ランド・アート」と呼ぶようになっている。(S.H.)