フランスから―環境とアートのブログ

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Posts tagged "文化大臣"

仏文化大臣もコロナウィルス陽性

2020年3月9日、月曜、フランス文化省は、文化大臣がコロナウィルス検査で陽性が出たと発表した。 フランク・レイステール文化相(2018年就任)は先週、国民議会や文化省の数々の会議に出席しているが、今のところ国会への伝染予防に関する特別措置は行わないようだ。ちなみに同省は、大臣の健康状態は良好としている。

文化にパリテを

 フランス文化大臣フランソワーズ・ニセンは2018年2月7日、これから4年をかけて2022年(マクロン大統領の任期満了時)を目処に、文化政治及び指導的立場に就く男女のパリテを目指して人数の差を無くし、給料格差を是正していく方針を明らかにした。 「男女平等オプセルヴァトワール」調査よれば、「現代アート基金に収められている作品の4人のうち一人が女性アーティスト。映画監督の4人のうち一人が女性監督。公立劇場で上演されるプログラムの3分の1が女性。国立ダンス・センターの19人のディレクターのうち、女性は3人」という。「仕方がないというような受動的な状況から抜け出して、積極的にクォータ制を打ち出し、数字的な目標を打ち立てるべき。文化のセクターはアヴァンギャルドであるべきです」とニセン文化相。
アメリカ人コレクター、オルセー美術館に600点寄贈

アメリカ人コレクター、オルセー美術館に600点寄贈

戦後初の貴重な寄贈が実現 アメリカのコレクター、マーレーン&スペンサー・ヘイズ氏らが、オルセー美術館に19世紀から20世紀初頭にかけての貴重な作品600点、予想額3億5000万ユーロの寄贈が実現することになった。1945年以来初の大量かつ重要な作品寄贈である。彼らの意向で寄贈先はフランスの美術館が選ばれた。2016年10月22日に大統領官邸エリゼ宮で寄贈サインが交わされた。
フランス、内閣改造

フランス、内閣改造

法務大臣クリスチアーヌ・トビラの辞任から時間の問題とされていた内閣改造が2月11日、発表の運びとなった。 まずは、外務大臣ローラン・ファビウスの離職が11日最初に報道され、その代わりに外務大臣に元首相のジャン=マルク・エローが就いた。ローラン・ファビウスは憲法評議会の議長へ就任。内閣改造で特記すべきは、エコロジストが3人入閣したことで、エマニュエル・コスが住宅大臣(2014年にエコロジストのセシル・デュフロがこの職にあった)に就いたことだ。セシル・デュフロは当時、マニュエル・ヴァルス内閣とそりが合わず、エコロジストはデュフロの辞任を契機に政権への参画をしないと宣言しており、これら3人のエコロジストの入閣は、緑の党をあからさまに内部分裂へ導く恐れがある。実際緑の党は、入閣を受け入れた3人に、緑の党を代表することをやめるよう忠告するなどし、コス新住宅大臣は即座にこれを受けて、緑の党から一歩退くことを公表した。
ヴァルス第二次内閣発足、女性大臣8人、男性大臣8人、文化大臣に内閣初のアジア人

ヴァルス第二次内閣発足、女性大臣8人、男性大臣8人、文化大臣に内閣初のアジア人

内閣総辞職、とは大げさすぎる手続きだったのではないか、とフランスTVがヴァルス首相を追及するほど、第一次内閣の大臣の留任が多い内閣改造となった。新内閣の顔ぶれやいきさつについて説明するためにフランス2TV8時のニュースに出たヴァルス首相。「ああした破綻があれば、政府としては全体を統率するために権威を振るうしかない」。アルノー・モントブール財務大臣が反旗を翻して、昨日の内閣総辞職で財務大臣、文化大臣、教育大臣の3人が内閣構成から離脱を表明。結局空いた財務、文化、教育の3つのポストに新大臣を任命することで騒動を収束させるかたちだ。

ユダヤ人の持ち主へ絵画の返還

フランス文化省は2013年3月19日、フランスの美術館で保管されていた絵画を持ち主へ返還する式典を催した。絵画の所有者は、第二次世界大戦中、フランスに在住していたユダヤ系オーストリア人。ドイツのナチスやフランス警察の追及を逃れて1939年フランスを脱出する際、持ち出すことができずにフランスにおいていった所蔵品で、アメリカのボストン在住の孫にあたるトーマス・セルドルフ氏が式典のため来仏。報道陣を前にオレリー・フィリペッティ文化大臣がセルドルフ氏に手渡しし、大臣はこれからも積極的に戦時中に不当に収集されたり迷子になった絵画の持ち主を探す研究を進めることを約束した。セルドルフ氏への作品の返還は70年ぶりとなる。 絵画は、17、18世紀のイタリアの画家 (Gaspare Diziani, Sebastiano Ricci…)のもの6点。返還手続きは生易しいものではなく、ボストンから駆けつけた84歳のセルドルフ氏は、繊維産業を営み芸術愛好家であった祖父のリチャード・ナウマン氏の思い出を語りながら感激していた。 リチャード・ナウマン氏は第二次大戦前、200点あまりの作品をコレクションしていたが、祖国オーストリアが1938年にドイツのナチと協定を結んだことでオーストリアから逃亡せざるを得ない状況に陥り、その際にコレクションの一部をオーストリアにも置き去りにしなければならなかった。家族とともに幾ばくかの作品をかかえてパリへやってきたが、1941年、スペインからキューバ、そしてニューヨークへ渡るために絵画を急いで手放したのだという。…